日曜日, 4月 28キリスト教・例話集・週報アイデア集
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26人の殉教 (5/8)

26人の殉教 (5/8)

秀吉の最初の朝鮮出兵は、文禄元年(1592)であるから、三人の朝鮮人がキリシタンとして捕らわれるまで四年が経過している。  朝鮮半島へのキリスト教の伝来は、まず、八世紀に唐から景教(注参照)がやってきたことが考えられる。更に時代が下って文禄の役の時、セスペデス神父が日本軍に従軍して半島に渡って宣教した。しかし、これらは民衆に何ら影響を与えるものではなかった。  従って彼らは来日後、尾張で指導を受けてキリシタンになったものと考えざるを得ない。五人が京に上ったのは当時、布教の立ち上がりで人手を必要としたフランシスコ会の求めに応じたのであろう。  (注)景教:唐代、中国に伝わったネストリウス派のキリスト教。王室の保護で盛んになったが、唐末にはほとんど滅亡。のち、蒙古民族の興隆とともに再び起こったが、元の滅亡とともに衰滅した。   日本二十六聖人  (http://park10.wakwak.com/~cdc/nagasaki/26seijin/index.html)

二十六聖人像(船越保武作) 26人は腰に布を巻いただけの姿で殉教しましたが、意図的に着衣の姿となっています。 ()の番号は「日本26聖人記念碑」の像に向かって右から左への順序です。

( 1)聖フランシスコ吉 京都、大工 京都のフランシスコ会修道院の近くにすむ。迫害の9か月前に受洗したばかり。 逮捕されてはいないが、殉教者と行を共にしたいと願い、長崎への途中で捕えられ、殉教者に加えられる。 殉教時の年齢不詳

( 2)聖コスメ竹屋 尾張、刀研師 レオ烏丸とともに京都の修道院の建設に尽力した。 洗礼後、伝道士として大阪のマルティン神父を助ける。 愛をもって病人の世話をし、神父の支えとなった。 マルティン神父と共に大阪の修道院にいたときに捕えられる。 殉教時の年齢38歳?

( 3)聖ペトロ助四郎 京都 殉教者の世話をするようにと、京都のオルガンティノ神父から派遣されたが、途中の西宮で、自分も縄を受け、受刑者の一人に。 長崎に着いたとき、逮捕者の名簿に記載されていなかったため、釈放されそうになったが、自ら進んで殉教者の中に加わった。 殉教時の年齢不詳

( 4)聖ミカエル小崎 伊勢、弓矢師 ある日、宣教師の説教を聞き、信仰の道へ。 フランシスコ会第3会に入会。京都、大阪の修道院の建設に協力。 息子トマスと共に殉教。 殉教時の年齢46歳

( 5)聖ディエゴ喜斎 備前、イルマン(修道者) 殉教のずつと以前からのキリシタン。 修道院を訪れる者の世話をする。キリストの受難に関する小冊子をまとめた。 殉教の数時間前にイエズス会への入会を許された。 体をヤリで貫かれる時、小声でイエズスとマリアの名を唱えた。  殉教時の年齢64歳

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