日曜日, 4月 28キリスト教・例話集・週報アイデア集
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1月 (睦月)

新年に死の話?!

新年に死の話?!

1月 (睦月), 知識
 「昔、ある高僧のもとに、元旦に年始にやってきた男が、記念に一筆、何か縁起の良いことを書いて下さい、と頼んだ。快く僧は承知して筆をとると、サラサラと書きつけたそうだ。『親死に、子死に、孫死ぬ』。読んだ男はカンカンに怒って、『正月早々何でそんなことを書くんですか』と抗議すると、僧は静かに微笑して、『いや、こんねええことはないではないか。親が死んでから子が死ぬ。子が死んでから孫が死ぬのでええので、これが逆になったら大変なことだ』と言ったので、その男もなるほどと納得して、その書を大切に持ち帰ったということである。」 この話には、読む人をドキリとさせる組み合わせの面白さがあります。「高僧」と「男」、「元旦」と「死」です。年の初めに死について語る、これはだれでもびっくりします。しかし、ここに高僧とただの男の違いがあるのです。 死は、だれにも必ず訪れるものです。ただ、自分は今死ぬことはないと思っているだけで、1時間後に死ぬかもしれません。死について考えないことが、最も良い方法だと思っているだけです。運動会で、ゴールがわからずに走り出す人はいません。年の初めに、死をしっかりと見据える、これはスタートに立ってゴールを確認することです。勿論クリスチャンにとって、肉体の死がゴールではなく、その先もあるのですが、死に勝利したキリストに自分のすべてを置く決意を、年の初めにあたってしましょう。そうするならば、困難も病気も死も、私たちにとって心をひきさくものではありません。...
シャルル・ペギー (1873年1月7日生)

シャルル・ペギー (1873年1月7日生)

1月 (睦月), 人物
シャルル・ペギー (1873年1月7日生) (Charles Péguy、1873年1月7日 - 1914年9月5日) 1873年1月7日生まれのフランスの文学者シャルル・ペギーは、その著書『金銭』の中で次のように言っています。 「いまだかつて金銭がこれほどまでに、唯一の主人であり、神であったためしはない。・・・ かくも現実的なるものが精神的なるものにたいして防禦されていたためしはなく、かくも精神的なるものが現実的なるものにたいして無防禦であったためしはない。」 100年ほど前のペギーのことばは、現在のしかも日本の私たちにぴったりの警告のことばのような気がします。私たちが外国の人々から、エコノミックアニマルと言われて久しいですが、その体質は、一向に変わってはいません。しかも、クリスチャンの中にもそうした体質があるとしたら、注意しなければなりません。経済的に豊かになること、自分の願い通りに事が進むこと、これらが神の祝福であり、信仰の成長であると考えたら、私たちは金銭を神とすることになるでしょう。イエス・キリストは、この地上を歩まれた時、何一つこのような意味での神の祝福を持ったことはありませんし、求めたことはありませんでした。「人の子には枕する所もありません。」と語られたイエスは、復活までの一時の十字架から降ろされた御自身のからだを置くための墓も、他の人が用意したものを受けました。 今年、新しい主の導きを期待して始めたあなたの目標は何でしょうか。「現実的なるもの」でしょうか、「精神的なもの」でしょうか。あなたの定めた目標が、神の意図からはずれたものであるなら、あなたの努力と期待は、むなしいものになります。 「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(Ⅱコリント4:18)...
新年

新年

1月 (睦月), 知識
『新年』・・・ このことばは、私たちの心に、ある種の期待感をいだかせます。失敗した者には、やり直しのチャンスを、マンネリに苦しんでいる者には、脱出の道を、・・・ そうした挑戦への入口に私たちは立っているのです。 その扉は、平穏無事を望み、楽しみを求めるための休息を願っている者にはふさわしくありません。それはちょうど、頂上を見上げて、力強く登ろうとしている登山家のような意気込みをもった者にこそ、押し開かれるのです。 神の山を登る者には、危険な岩場が待ち受けています。はらはらするような細い道もあります。一時の休息はありますが、長い時間休んでいることは許されません。さらに高みを目指して登らなければならないからです。しかし、吹雪があるときには、じっと動かずに待っているという忍耐も要求されます。 しかし、その山に一人で登るのではありません。聖霊という助けるお方がいるのです。この方によって、私たちは次のような体験をするでしょう。 「私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。」  聖書  ハバクク書 3章19節 神は確約されない  空がいつも青く  年中  道に花が咲いているとは 神は約束されていない  晴天の日だけで  雨が降らないことを  喜びだけで  悲しみはなく  平安のみで傷つき痛むことがないとは 神は約束された  日ごとに必要な力を  労く疲れた者には休息を  道を歩む者には光を  すべての試練に恵みを  上よりの助けを  決して変わらぬ哀れみを  たえることなき永遠の愛を                                                  (アニー・J・フリント)...
ゴードン将軍の宝

ゴードン将軍の宝

1月 (睦月), 人物
Charles George Gordon、1833年1月28日 - 1885年1月26日 イギリス政府は、チャールズ・ジョージ・ゴードン将軍に対して、彼の中国での輝かしい功労に報いようとしたとき、ゴードン将軍はすべての金銭や称号を受け取りませんでした。しかし最後に、彼の33回の戦闘の記録を刻んだ金メダルを受け取りました。それは彼にとって最も大切な所有物となりました。彼の死後、そのメダルはいくら探しても見あたりませんでした。そして最後にわかったことは、次のようなことでした。 ひどい飢饉がおとずれた時、彼は金メダルをマンチェスターに送り、それをとかして貧しい人々のためにパンを買うようにと、ささげたのでした。金メダルを手放した日、彼の日記にはこのようにしるされてありました。「私がこの世において重んじていた最後の、そして唯一のものも、主イエス・キリストに引き渡した。」 彼の晩年はみじめな生活だったと思いますか。いいえ、喜びと平安に満ちた日々だったことでしょう。多くの人は、地位や財産に自分の生活の安定を求めようとします。しかし、自分を造られた神を知ること、また自分が神に知られていることは、何よりもすばらしい財産なのです。 「私たちすべてのために、ご自分の御手をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」(ローマ8:32)...
睦月 (むつき)

睦月 (むつき)

1月 (睦月), カレンダー・陰暦・旧暦, 知識
◆ 「今年こそ良い年でありますように・・・ 」という願いをもって、多くの人が正月を迎えましたが、この1年を有意義に生活するためにも、この始まりの1月を大切にしなければなりません。1月を日本古来の言い方で言うと、「睦月(ムツキ)」といいます。 ◆ なぜ1月を「むつき」というのかは、諸説があってはっきりしない点が多いのですが、だいたい、つぎのように説明されています。 ・1月は、1年の始まりで「本つ月(モトツツキ)」で、それが略されて「むつき」となった。 ・春になって木々が芽ぐむという意味の「萌月(モエツキ)」がもとになっている。 ・新年で一同むつみあう月「陸び月(ムツビツキ)」がなまって「むつき」になった。 ◆ 「陸び月」の説が有力といわれていますが、1年の最初を、陸み合うことから始めることは、本当に良い年のはじまりといえるでしょう。キリストは、十字架にかかる前に、つぎのように語りました。 「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」 (ヨハネ13:34) この戒めは、クリスチャンの基本となる最も大切なものです。なぜならヨハネの第1の手紙2章8、9節につぎのようにあるからです。 『互いに愛し合いなさい』というこの戒めを守る時、暗やみは過ぎ去り、キリストのうちにある、ほんとうの光が輝きわたるのである。『光の中にいる』と言いながら、同じクリスチャンを憎むなら、今でも暗やみの中にいるのである。」...
成人の日

成人の日

1月 (睦月), 7月 (文月), 知識
ハッピーマンデー制度導入に伴い、2000年から1月の第2月曜日、つまり、その年の1月8日から14日までのうち月曜日に該当する日に変更された。そのため元々の1月15日には法律を改正しない限りやってこなくなってしまった。今年は 1月10日が、成人の日です。なぜこの日が祝われるのでしょうか。おとなとしての自覚をもって社会のために貢献できる年齢に達したからです。同じように、神の国の働きにも、霊の成人となった人の力が必要です。パウロは、「兄弟たち。・・・ 悪事においては幼子でありなさい。しかし考え方においてはおとなになりなさい。」(Iコリント14:20 )と勧めています。 近頃、おとなになることを拒否する『ピーターパン』的な成人が話題になっていますが、キリスト者は、主の働きにふさわしい真の成人に成長していかなければなりません。 ◆  民法第3条に「満20年を以て成人とす」とあり、満20才になった者は『成人』と呼ばれるわけですが、それに満たない者は何と呼ばれるのでしょうか。民法では『未成年者』ですが、少年法では『少年』といいます。また労働基準法では、18歳に満たない者を『年少者』といっています。身近なものとしては、学校教育法では『学生』とは大学生だけ、中学生と高校生は『生徒』です。小学生は『児童』、幼稚園児は『幼児』といいます。 法律によって呼びかたが異なるので、少しややこしい感じがします。...
語呂合わせがいっぱいのお正月

語呂合わせがいっぱいのお正月

1月 (睦月), 知識
『鏡もち』は、『もち』が『望(モチ)』で満ち足りるの意味。『裏白(ウラジロ)』は『歯朶(シダ)』のことで、『歯』は年齢で、寿命長久の意味。そして『しだ』い、『しだ』いに良くなるのです。また歯朶が裏白というのは、裏が白っぽいからで、『裏も潔白』というしるし。『ゆずり葉』は、親子代々ゆずって、子孫が長く絶えないという意味。 そのほか『昆布』は、『喜こぶ』『伊勢えび』は、『威勢』がよく、腰がまがるまで長生きするということです。『串柿』は、『柿』が『嘉来』に通じ、10個の柿を下の図のように分けて、『外(他人)には、にこにこ(2個、2個)、内(家族)は、仲睦じく(中6つ)』という意味です。語呂合わせをして幸せになるならいいのですが、昆布を食べたからといって、それで喜べるわけではありません。私たちは「本体はキリストにある(コロサイ 2:17)」ことを覚えて、食べ物や飾り物で幸せが来るのではなく、またそれらの物に特別な力があるように考えないようにしましょう。 『おとそ』は、お屠蘇と書きます。このお酒は、薬草が入っていますが、おにを『屠絶(ナクスル)』し、人の魂を蘇生(生き返らせる)』させるといわれ、屠絶と蘇生から2字をとり、屠蘇(トソ)というようになりました。中国では、とそを元旦に飲めば、1年中魔よけになると信じられ、9世紀頃、その風習が日本に伝わったものです。 「酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。(エペソ 5:18)」悪しき心を打ちくだき、魂をよみがえらせてくれるのは、酒の屠蘇ではなく、聖霊です。私たちは、日々聖霊に満たされていきましょう。...