日曜日, 4月 28キリスト教・例話集・週報アイデア集
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26人の殉教 (6/8)

26人の殉教 (6/8)

人物, 歴史, 知識
26人の殉教 (6/8) ( 6)聖パウロ三木 摂津、イルマン(修道者) 武家の子として生まれる。5歳のとき、両親と共に洗礼を受けた。 10歳ごろ安土城下のセミナリオで勉強を始め、22歳のときイエズス会に入会した。 仏教の教議に詳しかったので、仏教とキリスト教の教えを対比して説いた。 大阪のイエズス会修道院で捕えられる。 「わたしは何の罪も犯したわけではござらぬ。キリシタンの教えを広めただけで処刑されまする・・・」と群衆に言い残して処刑される。 殉教時の年齢33歳 ( 7)聖パウロ茨木 尾張、桶屋 レオン烏丸の兄。もともとは武士の出であるが、当時は貧しい桶屋を営んでいた。 殉教の2年前、棄教しようとしたが、ゴンザロ・ガルシア修道士の指導によって克服した。 弟レオン烏丸と共に貧者、病人の世話をし、布教に力を尽くす。 ペトロ・バプチスタ司祭の忠実な伴侶であった。長崎への殉教の道でも、妻、母や他のキリシタン達に手紙を寄せ、信仰を固く守るように励ました。 死を前に「神よ、あなたに命をささげます」と祈る。 殉教時の年齢54歳 ( 8)聖ヨハネ五島 五島、イルマン(修道者) 五島に、熱心なキリシタンを両親として生まれる。 幼少のころ、長崎のイエズス会士に引き取られ教育された。 パウロ三木とともに、大阪で捕えられたが、逃れようとすれば逃れられた。しかし進んで殉教者の列に加わることを望んだ。殉教の数時間前に、イエズス会への入会が認められ、十字架にかけられた。 「父上も神の教えのまことを信じ、怠りなく神にお仕えくださるよう・・・」と 言って自分のロザリオを父に渡す。 殉教時の年齢19歳 ( 9)聖ルドビコ茨木 尾張 レオ烏丸とパウロ茨木は叔父にあたる。 殉教の1年前に受洗。いつも明るく朗らかであった。 京都の聖フランシスコ会修道院で侍者として仕える。 司祭が逮捕された時、彼は除外され...
十二支の話

十二支の話

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十二支の話 ●   そろそろ年賀状の整理をしている頃でしょうか。きっとあなたのところに来た年賀状にも、たくさんの龍が描かれていたことでしょう。ではなぜ、その年に特定の動物があてはめられるようになったのでしょうか。 ●  12支というのは、1年の月をあらわすための記号で、上のような漢字をそれぞれにあてはめていました。ですから文字は、順序をあらわすにすぎません。そして、12支を月にあてはめる場合、正月が『寅』で、順に月の名をあらわしていました。 ●   ところが、インドの12宮を支配するという12獣を、これにあてはめるようになりました。ですから、漢字そのものの意味と動物の名とが違っても、そのように読むようになりました。例えば、『子』も『丑』も、ネズミやウシの漢字としての意味はありません。このことを調べてみるとおもしろいでしょう。 ●   また12支は、時刻をあらわすのにも用いられました。真夜中を『子』の刻として、1日に12支を配します。「草木も眠る丑満つ時・・・ 」というのは、午前2時頃です。このようにすると、昼の12時は「牛』ですから、この時を正午というのです。そしてその前が午前であり、その後が午後です。またさらに、12支は方位をあらわすのにも用いられました。北は『子』で、南は『牛』です。ですから北極と南極を結ぶ線が子牛線です。このように12支そのものには、動物の意味するものはありません。 ●   月の名を、動物の名で呼んでもさしつかえありません。日本人ですから、それを年の何して、「今年はウマ年だ。」なんて言うようになったのですね。そして、ネズミ年に生まれたから、チョロチョロして落ち着きがないとか、ウシ年生まれだからノンビリしているとか言うようになったのです。でも、そのように言われてみると、自分がチョロチョロしていたり、ノンビリしているように感じるから、人間の気持ち...
寒中

寒中

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寒中 ◆ 『寒中』とは、1月の5日頃から2月3日頃までをいいます。この頃は、空気が乾燥していて寒さのために虫のつくおそれがないので、衣類の虫干しには一番敵している時期といわれています。お天気のよい日を選び、11時頃から2時頃までに片付く分量ずつに分けて、虫干しするとよいでしょう。 ◆ 1月5日は、暦の上で小寒です。この日を寒の入りと呼びます。日本列島が一番厳しい寒さに見舞われるのも『寒中』で、この時期に相手を思いやり励ます手紙が寒中見舞です。年賀状をいただいたけれども返事を出しそびれた方への挨拶などを書くのによい時期です。 ◆ 寒さのため外出を控え、家で過ごす時間が長くなります  年賀状、住所録、アルバム等の整理をしてみましょう。年賀状は15日のお年玉のくじ引がすんでから整理しますが、わざわざ住所録をつくる手間をはぶきたい人は、はがきをそのまま収納するファイルが便利です。住所録は家庭の大切な書類ですから、この時期にきちんと整理しておきましょう。...
新年に死の話?!

新年に死の話?!

1月 (睦月), 知識
 「昔、ある高僧のもとに、元旦に年始にやってきた男が、記念に一筆、何か縁起の良いことを書いて下さい、と頼んだ。快く僧は承知して筆をとると、サラサラと書きつけたそうだ。『親死に、子死に、孫死ぬ』。読んだ男はカンカンに怒って、『正月早々何でそんなことを書くんですか』と抗議すると、僧は静かに微笑して、『いや、こんねええことはないではないか。親が死んでから子が死ぬ。子が死んでから孫が死ぬのでええので、これが逆になったら大変なことだ』と言ったので、その男もなるほどと納得して、その書を大切に持ち帰ったということである。」 この話には、読む人をドキリとさせる組み合わせの面白さがあります。「高僧」と「男」、「元旦」と「死」です。年の初めに死について語る、これはだれでもびっくりします。しかし、ここに高僧とただの男の違いがあるのです。 死は、だれにも必ず訪れるものです。ただ、自分は今死ぬことはないと思っているだけで、1時間後に死ぬかもしれません。死について考えないことが、最も良い方法だと思っているだけです。運動会で、ゴールがわからずに走り出す人はいません。年の初めに、死をしっかりと見据える、これはスタートに立ってゴールを確認することです。勿論クリスチャンにとって、肉体の死がゴールではなく、その先もあるのですが、死に勝利したキリストに自分のすべてを置く決意を、年の初めにあたってしましょう。そうするならば、困難も病気も死も、私たちにとって心をひきさくものではありません。...
新年

新年

1月 (睦月), 知識
『新年』・・・ このことばは、私たちの心に、ある種の期待感をいだかせます。失敗した者には、やり直しのチャンスを、マンネリに苦しんでいる者には、脱出の道を、・・・ そうした挑戦への入口に私たちは立っているのです。 その扉は、平穏無事を望み、楽しみを求めるための休息を願っている者にはふさわしくありません。それはちょうど、頂上を見上げて、力強く登ろうとしている登山家のような意気込みをもった者にこそ、押し開かれるのです。 神の山を登る者には、危険な岩場が待ち受けています。はらはらするような細い道もあります。一時の休息はありますが、長い時間休んでいることは許されません。さらに高みを目指して登らなければならないからです。しかし、吹雪があるときには、じっと動かずに待っているという忍耐も要求されます。 しかし、その山に一人で登るのではありません。聖霊という助けるお方がいるのです。この方によって、私たちは次のような体験をするでしょう。 「私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。」  聖書  ハバクク書 3章19節 神は確約されない  空がいつも青く  年中  道に花が咲いているとは 神は約束されていない  晴天の日だけで  雨が降らないことを  喜びだけで  悲しみはなく  平安のみで傷つき痛むことがないとは 神は約束された  日ごとに必要な力を  労く疲れた者には休息を  道を歩む者には光を  すべての試練に恵みを  上よりの助けを  決して変わらぬ哀れみを  たえることなき永遠の愛を                                                  (アニー・J・フリント)...
クリスマスはなぜ12月25日なの?

クリスマスはなぜ12月25日なの?

12月 (師走), 知識
イエス・キリストの誕生日については、どこにも記録はなく、正しい月日はわかりません。12月にクリスマスが行なわれるようになったのは、3世紀の初め頃のローマからといわれています。もともと、ローマ人は冬至に農神祭を行なっていましたが、特に12月25日は、冬至の後で太陽がよみがえる1年の変わり目として重要視されていました。 つまりこの日から、長い夜の闇に打ち勝って、太陽の光りの時間が長くなるわけです。これが暗かった世界に、救い主が生まれたというキリストの誕生を、初期のクリスチャンがイメージをダブらせたわけです。いろいろな異教の神々が周囲にある中にあって、キリストを『義の太陽』として受け入れた人々の心は、喜びで満ちあふれたことでしょう。   わたしの名を恐れるあなたがたには、 義の太陽が上り、 その翼には、癒しがある。 あなたがたは外に出て、 牛舎の子牛のようにはね回る。    (聖書・マラキ書4章2節)   わたしを恐れるあなたがたには 救いの光が大きく輝き、 その光には罪の赦しがある。 あなたがたは牛舎から出る子牛のように 外に出て、はね回る。           (現代訳聖書) ...
サンタクロースのトナカイ

サンタクロースのトナカイ

12月 (師走), 知識
♪ 私はトナカイ。そうサンタクロースさんのそりを引いています。世界中を走り回らなくちゃならないから、とても忙しいの。 ♪ 私はメスです。えっ、角があるのにメスかって?ええ、これにはこんな事情があるのです。トナカイには、オスもメスも角があります。ところが冬の初めの11月ころ、オスの角はぽろりと落ちてしまいますが、メスの角は落ちないで残ります。その理由は私にもよくわかりませんが、角のあるメスのほうがオスより強い立場になるのは確かです。ですから冬の間、乏しい食料も、角のおかげで、オスよりも多くとることができます。勿論、メスだけがたくさん食べるということではなく、メスにはたいてい子どもがいるでしょう。きびしい冬の間角のおかげで、メスや子どもが飢え死にせずに過ごせるというわけ。神さまは、すばらしいプレゼントをくれたものです。 ♪ ですから、サンタクロースのそりを引いているトナカイで、角をつけたのは、全部メスというわけ。どう?女性は働き物でしょ。 ♪ ところで私たちは何頭でそりを引いていると思いますか。1頭?2頭?・・・ それは中小企業のサンタクロース。正しくは8頭です。そんなにいたかって?アメリカの神学博士クレメント・クラーク・ムチ 週という人の「クリスマスの前の晩、聖ニコラスがやって来る」という詩の中に出てくるのです。ムーアの詩によると、サンタのそりを引くトナカイは全部で8頭で、しかも1頭ずつに名前がついています。それはダッシャー、ダンサー、プランサー、ビクスン、コメット、キューピット、ダンダー、ブリッツェンの8頭です。名前があるなんて、あなた知ってた?...
クリスマス・リース

クリスマス・リース

12月 (師走), 知識
★クリスマスの時期、扉にかけたり、窓につるしたりする緑の輪の飾り、それがリースです。なぜ『輪』の形にするのでしょうか。それは古代の勝利の冠の形でありこの世の勝利者イエス・キリストにふさわしいものです。また「時満ちて」L」救い主が誕生したことをあらわします。   ★材料は、モミ、ヒイラギ、イチイなどの常緑樹を用います。これは冬でも枯れない「永遠の生命」をあらわします。キリストがいばらの冠をかぶせられたことを思い起こすものであり、小さな赤い実はそのときに頭から流された血潮を意味します。ヒイラギは、ちょうどクリスマスの頃、他の草木が枯れしぼむのに、葉はいよいよ緑になり、まるで一滴一滴したたるキリストの血を思わせる赤い実をみのらせるので時季にも適しています。   ★中央にベルをさげますが、金は父なる神、銀は子なる神でありベルの音はこの世に救い主がお生になったという福音を告げ、私たちに生きる希望を与えてくれます。 ★そして、4本のろうそくを等間隔で立てます。救い主の誕生を待ち望んでいた人々の思いに合わせて、1週間に1本ずつ増していくのです。アドベント(待降節)を神の愛を覚えて過ごしましょう。  ...
日の吉凶はあるのか?

日の吉凶はあるのか?

知識
カレンダーの横を見ると『大安』とか『赤口』と書いてあるのを見かけます。あれはどのような意味をもつのでしょうか。 西暦1350年頃(足利尊氏時代)に、中国の元から「事林広記」という書物が日本に渡来しました。この中に1週間を今日のように7曜(日月火水木金土)でよばずに『大安・留連・速喜・赤口・小吉・空亡』の6曜でよんでいました。その後、徳川時代になって3度ほど、文字や順序が変わり、最後に現在の『先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口』となりました。 本来は、曜日の呼び方であったものが、変化していくうちに、漢字の意味から日の良し悪しを決めてしまったのです。例えば最初の『留連(リュウレン) 』は『流連』となり音が似ているということから『友引(ユウイン)』となり、現在は『ともびき』と読み、友を引く日となり、この日に葬儀をすれば死者がだれかをつれてあの世に行くと信じられるようになりました。 左の薩宙は、新しく作った戦闘機に御祓をしているところです。21世紀の祭典といわれる科学万博も筑波山神社で、コンパニオンが成功祈願をして始まりました。人間の力以上に、偉大な力があることを恐れる気持は大切ですが、それが何であるかを知らなければ意味がありません。そして、必要のないものにまで意味をつけて、喜んだり恐れたりしているのは自由な生き方ではありません。 「キリストは自由を得させるために・・・(ガラテヤ 5:1)」この地上に来られました。日の吉凶は意味がありません。 「これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。」(詩篇 118:24)...
神々のいない月 – 10月

神々のいない月 – 10月

10月 (神無月), 知識
エビス 先週は、10月を神無月といって、日本中の神々が出雲で会議をするために集まるので神々が不在の月だと書きましたが、全員がいなくなるわけではありません。それでは人々が困るので留守番の神々もいるのです。 海の神とされる住吉の神、病気や悪霊から守る道祖神、かまどの神とされる荒神(コウジン)などです。しかし、最も大衆的なのがエビスです。「恵美寿」「恵比須」「夷子」などとも書かれます。 エビスの祭りである『恵美須講』は、正月と10月に行なわれます。特に10月は、 ほかの神々がいない月ですから、 10月の方が盛大に人を集めることに なります。エビスは七福神の1人で、右手に釣ざお左の小脇には鯛をかかえています。はじめは、海の神でしたが後に農業の神となり、商業の神となりました。ですから10月はエビスにちなんだ売り出しなどをすることが多いのです。 ではなぜエビスが出雲に行かないのでしょう。理由として、エビスは足が悪く耳が聞こえないので旅行に行きたがらないといわれています。なんだか障害のある神なんて変ですね。 他の人が何を信じていたって、迷惑をかけるようなものじゃなくて、その人自身が幸せそうにしていたら、それでいいじゃないかというのが一般の考えです。でもあなたは、キリストを知った今、やはり自分はキリスト、他の人はエビスでもいいと思いますか。     「この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。(ルカ 7:47)...