土曜日, 4月 27キリスト教・例話集・週報アイデア集
Shadow

十二支の話

十二支の話

●   そろそろ年賀状の整理をしている頃でしょうか。きっとあなたのところに来た年賀状にも、たくさんの龍が描かれていたことでしょう。ではなぜ、その年に特定の動物があてはめられるようになったのでしょうか。

●  12支というのは、1年の月をあらわすための記号で、上のような漢字をそれぞれにあてはめていました。ですから文字は、順序をあらわすにすぎません。そして、12支を月にあてはめる場合、正月が『寅』で、順に月の名をあらわしていました。

●   ところが、インドの12宮を支配するという12獣を、これにあてはめるようになりました。ですから、漢字そのものの意味と動物の名とが違っても、そのように読むようになりました。例えば、『子』も『丑』も、ネズミやウシの漢字としての意味はありません。このことを調べてみるとおもしろいでしょう。

●   また12支は、時刻をあらわすのにも用いられました。真夜中を『子』の刻として、1日に12支を配します。「草木も眠る丑満つ時・・・ 」というのは、午前2時頃です。このようにすると、昼の12時は「牛』ですから、この時を正午というのです。そしてその前が午前であり、その後が午後です。またさらに、12支は方位をあらわすのにも用いられました。北は『子』で、南は『牛』です。ですから北極と南極を結ぶ線が子牛線です。このように12支そのものには、動物の意味するものはありません。

●   月の名を、動物の名で呼んでもさしつかえありません。日本人ですから、それを年の何して、「今年はウマ年だ。」なんて言うようになったのですね。そして、ネズミ年に生まれたから、チョロチョロして落ち着きがないとか、ウシ年生まれだからノンビリしているとか言うようになったのです。でも、そのように言われてみると、自分がチョロチョロしていたり、ノンビリしているように感じるから、人間の気持ちは変ですね。

●   ところが、ネズミ年生まれだから落ち着きがないと思うところに問題があります。自分もそのように考え、他人をそのように見る。それははたして自由な生き方でしょうか。『星占い』『血液型性格判断』『手相』などクリスチャンである私たちも、知らないうちに、それらのとりこにされているような気がします。   ●   いろいろな宗教的習慣の多い日本の中で育ってきた私たちが、しっかりした信仰を持ち続けるのは、ある意味でむずかしいものです。しかし、そのことが、キリストと自分の間をへだてるものであると気がついた時は、どんな小さな事からも離れるようにしましょう。キリストは、私たちに本当の自由を与えるために、御自身の生命を投げ出して下さったからです。

   「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。」(ガラテヤ 5:1)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です