木曜日, 5月 9キリスト教・例話集・週報アイデア集
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月: 2011年9月

何を所有すべきか?(自分はどうか考えてみて下さい)

何を所有すべきか?(自分はどうか考えてみて下さい)

歴史
自分の財産、家庭、時間、能力、そして生命・・・ これを私たちはどのように意識しているでしょうか。「これは神さまからお預かりしているもの」と口では言いながら、自分の楽しみのために、それらをどれだけ多く使っていることでしょう。そして、神との交わりをする時間以上に、自分の所有物をふやすための努力を、いかに多くしていることでしょう。神御自身の御霊を私たちが所有していることが、いかにすばらしいものであるか、もう一度考えてみましょう。 パパラギ  その3  (パパラギとは白人または文明人の意味) はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集 パパラギは一種特別な、そして最高にこんがらがった考え方をする。彼はいつでも、どうしたらあるものが自分の役に立つか、そしてどうしたらそれが自分の権利になるかと考える。それもたいてい、ただひとりだけのためであり、みんなのためではない。このひとりというのは、自分自身のことである。 もし、ある男がこう言うとする。「おれの頭はおれのもので、おれ以外のだれのものでもない」それはそうなのだ。たしかにそのとおりだ。それについてだれも文句を言えるものはない。手の持ち主以上に、その手の権利を持っているものはない。ここまでならパパラギは正しいと思う。だがその先、パパラギはこうも言う。「このヤシはおれのものだ」なぜかというと、ヤシがそのパパラギの小屋の前に生えているから。まるでヤシの木を、自分で生やしでもしたかのように。ヤシは、決してだれのものでもない。 決してそうではない。ヤシは、大地から私たちに向かって差し伸べたもうた神の手だ。神はたくさんの手を持っておられる。どの木も、どの花も、どの草も、海も空も、空の雲も、すべてこれらは神の手である。 私たちにはその手を握って喜ぶことは許される。だがしかし、こう言ってはならない。「神の手はおれの手だ」しかしパパラギはそ...
物質主義とは幸せなのか?(自分はどうか考えてみて下さい)

物質主義とは幸せなのか?(自分はどうか考えてみて下さい)

歴史
物・物・物 ・・・私たちは物に囲まれて生活しています。そうすると、自分の所有する『物』が無いと、自分は不幸だと思います。この考えを、キリスト者は軽視するわけにはいきません。なぜなら、キリスト者であっても、物が無いのは不幸だと思う考えが心の片隅にあり、そのために不安になったり、主に求めて祈ったりするからです。勿論、私たちが生活をするためには、『物』は必要ですが、私たちはこの地上では旅人であり寄留者であることを覚えましょう。そして、父である神御自身が、神の子である私たちに必要な『物』を最もよく知っておられることを覚え、主にゆだねましょう。 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。                        聖書・マタイの福音書6章33節 パパラギ  その2 (パパラギとは白人または文明人の意味) はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集 それからパパラギは、私たちのことについてこうも言っている。 「きみたちは貧しく不幸せだ。きみたちには、多くの援助と同情が必要だ。きみたちは何も持っていないではないか」 たくさんの島々の愛する兄弟たちよ。物とは何か、おまえたちに告げよう。・・・ たとえばヤシの実はひとつの物である。ハエたたきも、腕輪も、食事の皿も、髪飾りも、すべてこれらは物である。 しかし、物にはふたつの種類がある。ひとつはヤシの実や、貝や、バナナのように、私たち人間が何の苦労も労働もせず、あの大いなる心(神)が造り出す物である。いまひとつは、指輪や、食事の皿や、ハエたたきのように、たくさんの人間が苦労し、労働をして作り出すものである。アリイ(紳士)が言う物とは、彼が自分の手で作った、人間が作った物のことであり、私たちが何も持っていないと言われるのは、こうした物のことである...
本当の幸せとは?(自分の生活はどうか考えてみてください)

本当の幸せとは?(自分の生活はどうか考えてみてください)

歴史
ウポル島(西サモア)に住む酋長ツイアビが、20世紀のはじめにヨーロッパに行き、機械文明というものを初めて見た時の印象を彼独自の表現の仕方であらわした本があります。それが『パパラギ』です。パパラギとは白人を意味するそうですが、文明人という意味もあり、文明社会といわれるものに、やや批判的に用いられているのかもしれません。酋長はじめこの島の人々は、キリスト教を信じています。信仰の純粋さのゆえに、今の私たちがドキリとさせられるような文が載っています。原題の『パパラギ』(独:Der Papalagi)は、1920年にドイツで画家で作家のエーリッヒ・ショイルマンによって出版された書籍で、サモアの酋長ツイアビが訪問したヨーロッパについて話した演説をまとめたものとしているが、実際はショイルマンの手になるフィクションと言われています。それを今回から5回のシリーズで連載いたします。 パパラギ  その1 はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集 かしこい兄弟たちよ、信仰の心をもって耳傾け、おまえたちが白人の持つような悪意を持たず、文明人が怖れることを怖れずにいるのはしあわせだと思わねばならない。… おまえたちも、あの宣教師の言葉をはっきりと覚えているだろう。「神は愛である。ひとりの真の救世主が常に愛そのものであるという善をなしたもうた。だからこそ白人の崇拝は、大いなる神にのみ向けられる」と。 宣教師は私たちに嘘をつき、私たちをあざむいた。パパラギが宣教師を買収し、大いなる心の言葉を借りて私たちをだましたのだ。丸い金属と重たい紙、彼らがお金と呼んでいる、これが文明人たちの本当の神さまだ。 愛の神について、ヨーロッパ人に話してみるがよい ー  顔をしかめて苦笑いするだけだ。考え方が子どもじみていると言って笑うのだ。ところが、ぴかぴか光る丸い形の金属か大きい重たい紙を渡してみるがよ...
日航機墜落事故から

日航機墜落事故から

歴史
1985年 8月12日に発生した日本航空123便の墜落事故では搭乗員524名中520名が死亡した。その墜落する飛行機の中で遺書を残した河口さん。その長女真理子さんは、「あれほど冷静な父が、遺書の中で『どうか神様たすけて下さい』と書き残したのをみると、本当に怖かったのだと思います。」と語りました。「どうか神様たすけてください」このことばには、人としての真実の叫びがあります。そして人は神を求めるものであることも教えています。   日頃、神を知らない人は、神を知らないゆえに、神を求めません。しかし、神を知った人は、1度知ったことがあるというそれだけで、神を軽んじてしまうことがないでしょうか。「どうか神様たすけてください」これほどの真実の心をもって、神を呼び求めているでしょうか。義務的な心からではなく、日常の惰性的な気持からではなく、真実の心の叫びをもって神を求めていくべきです。   また奇跡的に助かった日航のアシスタントパーサー落合さんの証言で、パニック状態の中でも人々の助け合いが見られたなど、この墜落事故から、人間とは、生きるということについてなど、多くの人々に考えさせる機会となりました。  私たちは、今一度日々を大切に生きることを考えてみましょう。   「主を呼び求める者はすべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに、主は近くあられる。」(詩篇145:18)...