日曜日, 4月 28キリスト教・例話集・週報アイデア集
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5月 (皐月)

聖霊とは?

聖霊とは?

5月 (皐月), キリスト教, 知識
● 聖霊は、私たちの目には見ることはできませんが、神的人格をもったお方です。よく神からの力と表現することによって、人間の力のように人格のないもののように考える人がいますが、それは正しくありません。「聖霊は、すべてのことを探り・・(Ⅰコリント2:10)」「御霊が・・・賜物を分け与えてくださる(Ⅰコリント12:11 )」「御霊は、・・・聖徒のためにとりなしをしてくださる・・(ローマ8:27)」のように人格としての性質をもっています。つまり神ご自身です。 ● 聖霊は目に見えないのですが、聖書には「神の御霊が鳩のように下って・・(マタイ3:16)」や「激しい風が吹いて来るような響きが起こり・・・炎のような分かれた舌が現われて(使徒2:2,3)」などの記述から聖霊を、鳩、炎、油、風などにシンボル化することがありますが、勿論、それらと同一という意味ではありません。 ● 聖霊は、父なる神と子なる神によって遣わされた方であり、現在の働きにおいては父と子に従属しています。例えば“礼拝”においては聖霊を礼拝するようにとは聖書に書かれていませんが、聖霊の導きにあって礼拝するように勧められています。聖霊の使命と喜びは、信者を父と子とへの礼拝に引き出すことだからです。 ● 聖霊は次のような働きをします。 ・信者を新たにし、新生させる。(ヨハネ3:3~5) ・信者を、罪と死の法則から解放する。(ローマ8:2) ・信者を強くする。(エペソ3:16) ・信者が神の子どもであることをあかししてくれる。(ローマ8:16) ・信者に、キリストの品性の実を結ばせる。(ガラテヤ5:22,23) ・信者に、キリストの御言葉を思い出させる。(ヨハネ14:26) ・信者を、感謝と賛美に導く。(エペソ5:18~20)...
きょうは母の日

きょうは母の日

5月 (皐月), 知識, 祝日・記念日
母の日というと、5月の第2日曜日とだれでも知っていますが、これはアンナ・ジャービスという女性が母の命日に、亡き母をしのぶ記念の会を催し白いカーネーションの花束を霊前にたむけ、参会者に分けたのが始まりといわれています。でもこれはアメリカでの話で、日本の母の日は、5月5日ということを、御存じですか?『国民の祝日に関する法律』には、こどもの日(5月5日)は、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」と書かれています。そして「幸福なるこどもは幸福なる母の所産である。母の慈愛に感謝し、母の努力に報い、母を祝福する意義がここにある」と説明されています。 でも、母への感謝は、法律にしばられたくないというのでしょうか、現在ではアメリカ流になっています。 母親を、敬いましょう。 「両親を尊敬しなさい。そうすれば、主であるわたしが与える国で、しあわせな一生を送ることができる。」 (出エジプト20:12)  母親には、従いましょう。 「かたくなで、逆らう子がおり、父の言うことも、母の言うことも聞かず、父母に懲らしめられても、父母に従わないときは・・・ 町の人はみな、彼を石で打ちなさい。」 (申命記21:18 21)   母親の生活が守れれるように、心を使いましょう。 「(十字架の上の)イエスは・・・ その弟子に『そこにあなたの母がいます。』と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。』(ヨハネ19:26,27)...
皐月(さつき)

皐月(さつき)

5月 (皐月), カレンダー・陰暦・旧暦, 知識
いよいよ5月になります。5月の古い言い方は、「皐月(さつき)」です。「さ」とは、田の神(あるいは、田植え)という意味で、「田の神の月」という意味です。「早苗(さなえ)」とは、「田の神の苗」という意味で、イネのなえです。ですから、皐月は早苗を植え始める月でもあるのです。もっともこれは旧暦での話ですから、新暦の現在では、1か月以上遅れることになるでしょう。 日本ではこのように、古くから稲作を中心にして生活してきましたから、 春になると、人の住んでいる里に「田の神」を迎え、米がよく育つようにお願いし、秋になると収穫を「田の神」に感謝し、山へ送るのが秋祭りでした。ですから、あくまでも人間の生活が中心になって、そこへカミを迎えて、よい生活ができるようにお願いし、また別の必要が生じたら別のカミにお願いをするのが、日本人の信仰生活でした。 クリスチャンになってからも、周囲の人のそのような姿を見て、キリストに対して、同じような信仰態度をもとうとすると、きっと挫折感を味わうことになるでしょう。自分中心からキリスト中心へ、キリストは愛の方であると全ての信頼を持つこと、これが日本的な信仰生活との違いでしょう。 5月5日の端午の節句は、中国から伝わったものですが、この日は厄日なので、変えようという考えから出ています。ですから葉が剣に似ている菖蒲や、香りの強いヨモギで魔除けをしようとしたのです。これも何か      行為によって、自分の生活から悪しきものを追い出そうという考えです。私たちが守られるのは、キリストによってです。キリストに全信頼を置き、キリストにつながっているならば、たとえ厄日であっても、悪魔がやってきても、信仰によって勝利することができます。 日本のいろいろな行事に出会う度に、私たちの信仰を今一度確かめましょう。 ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向か...