木曜日, 5月 9キリスト教・例話集・週報アイデア集
Shadow

月: 2011年6月

忙しすぎる、おとうさん、おかあさんへ

忙しすぎる、おとうさん、おかあさんへ

知識
こんなテレビ番組を見たことがありますが、男性も女性も、若い時には、それぞれの立場で一生懸命働いていますが、ふとこれから残りの人生をこのまま歩んでいっていいのだろうかと、立ち止まる時があるというのです。そして自分の人生に確信が持てない場合、精神的にポケーっとして、なかには立ちなおれない人も出でくるそうです。その時期は女性が30代半ば、男性が40代半ばということです。 私たちは、人生のそれぞれの年代で、目標をもって勉強したり、働いたりしています。学校、就職、結婚・・・ などと、目標を目指し、そしてそれを手に入れます。女性の30代、男性の40代といえば、それらを手にして、残りの人生への見通しもたつ頃でしょう。そして自分の追い求めているものが、本当に価値のあるものかどうかを考え始めるのでしょう。 あなたは本当に価値のあるものを追い求めていますか。年老いても、仕事を離れても、そして肉体が弱って死んだ後にも価値のあるもの・・・・・・それはイエス・キリストです。クリスチャンであっても、自分はイエス・キリストについて知っているというだけで、キリストを求めることをやめるなら価値ある目標を知らない人と同じような憂うつを体験するでしょう。 「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追求しているのです。・・・ ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。」(ピリピ3:13,15)...
父の日

父の日

祝日・記念日
6月の第3日曜日は「父の日」です。アメリカのドット夫人が「母の日」があるのに「父の日」が無いのは片手落ちだと、バラの花を飾って、男手1つで自分達を育ててくれた父親に感謝する行事をしたのが始まりといわれています。 ・し父親の価値は、父親が死んだあとでわかる。塩の価値は、なくなってみるとわかる。」(タミル族の諺) ・「父の戒めは、みな我が身の幸」(小林一茶【俳人】1763年~1827年) ・「一人の父親は、百人の校長に勝る。」(ジョージ・ハーバード【イギリスの詩人】 1593年~1633年) ◆  子どもを同じように愛すること(創世記37:4) ◆  大切なことは、はっきりと命じること(創世記50:16)  ◆  子どもの必要を満たすこと(マタイ7:8 11) ◆  正しい歩みができるように、さとして励ますこと(Ⅰテサロニケ2:11,12)  ◆  必要なことを、訓練すること(へブル12:7) ◆  子どもをしかりつけて、反抗心を起こさせたり、恨みをいだかせないこと(エペソ6:4)  ◆  面倒bオンて、育てること(イザヤ1:2) ◆  親の言うことを聞くように、こらしめること(申命記 2118 21)  ◆  いろいろと面倒をみて、教えること(ホセア11:3) ● 自分の息子から手をふりあげられるような父親には、 すべて罪があるのだ。自分に向かって手をふりあげるような息子をつくったという点において」(シャルル・ペギー【フランスの詩人】 1873年~1914年)...
ペンテコステ

ペンテコステ

キリスト教
キリストの復活後40日を経て昇天された日を記念した日が昇天日で2011年は6月2日です。さらに10日後、復活日から50日目の主日が、聖霊降臨日(ペンテコステ)です。この日は、聖霊がくだって教会が誕生した記念日です。“ペンテコステ(πεντηκοστη)”というのは、ギリシャ語で50番目という意味で、“五旬節の日”ともいいます。レビ記23:16によると、「7回目の安息日の翌日まで50日を数え・・・」とありますから、この日は日曜日にあたります。 私たちの主は「安息日が終わって、週の初めの日の明け方(マタイ28:1)」つまり日曜日に復活されました。また、それから50日目の日曜日に、「助け主、すなわち、父がわたしの何よってお遣わしになる聖霊(ヨハネ14:26)」が、主の約束通りに下って、教会が誕生したのです。 キリスト者にとって、日曜日には、復活の事実によって、イエス・キリストこそ、真の神であると告白できますし、また私たちもいつの日か復活するという希望を持つことができます。また、助け主である聖霊が下ったことによって、私たちの内にキリストが生きていてくださり、困難な時には助け、またさらにキリストを現実のお方として、明確に意識させてくださるのです。日曜日こそ、キリスト者にとって、義務ではない、喜びをもって主を礼拝する日です。...
60×80÷365=13.15・・・・

60×80÷365=13.15・・・・

知識
人間の体の生長に必要なものは、きれいな空気と栄養のある食べ物です。呼吸は、絶やすことがありませんし、食事についても普通の人ならば、1食に30分間使うとして、1日30分間×3回=90分間使っています。ところで、私たちは、自分の内側の人、つまり霊の呼吸と食事のために、どれだけの時間を使っているでしょうか。『霊の呼吸』とは、「絶えず祈りなさい。」(I テサロニケ 5:17) とあるように、『祈り』のことであり、『霊の食物』とは、「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」(I ペテロ 2:2)とあるように『みことば=聖書』のことです。 キャンベル・モルガンは、かつて次のように言いました。「聖書は、講壇で朗読する時の速度で読めば、創世記1章からヨハネの黙示録22章まで78時間しかかかりません。」ある弁護士が、彼に、そんなに速く読めるわけはないと抗議しました。しかしモルガンは彼に、抗議する前に、ご自分で読んでみたらいかがですかと言いました。弁護士は家に帰って聖書を読みました。すると、なんと、80時間以内で読み終えることができました。 私たちが、1年間でこの聖書を読み終えようとすると、1時間は60分ですから、その80倍したものを、365日で割ると、1日わずか13分間あればいいことになります。外側の体のために、90分間、内側の霊のために、13分間、なんと、やがて火葬場で灰になってしまう体のために、7倍もの時間を使っていることになります。最低1日13分間。今日から、霊の成長のために確保しましょう。霊は、火葬場へ行ったあとも永久に残りますし、霊が成長するならば、現在の生活でも次のようなことが起きるのです。 ◆  環境や人間関係に、不平、不満があっても、感謝し、愛する心に変えられます。 ◆  仕事をし...