土曜日, 4月 27キリスト教・例話集・週報アイデア集
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26人の殉教 (7/8)

26人の殉教 (7/8)

(12)聖マルチノ・デ・ラ・アセンシオン  スペイン、アギラ、司祭 18歳のときフランシスコ会に入会。メキシコを経てフィリピンへ赴任した。 1596年半ば、ブランコ神父とともに来日。わずか数か月で日本語を自由に話せるほどになった。 ヤリで体を突かれる時、大声で「主よ、わが魂を御手に委ねます」と叫んだ。 ヤリの柄が抜けて穂先が残ったため、穂先を手で引き抜かなければならなかった。  殉教時の年齢30歳

(13)聖フィリッポ・デ・ヘスス メキシコ、修道士 スペイン人を父母として、メキシコで生まれた。 青年時代、少し放縦な生活を送った彼は、両親により商業のみちへ進むようフィリピンへ送られた。 フランシスコ会で司祭になるために勉強を始め、司祭叙階のため、サン・フェリペ号でメキシコへ向かう途中、嵐に会い日本へ漂着。京都のフランシスコ会修道院にいたとき逮捕。 喜びの涙を流し、賛歌を歌って息を引き取る。  殉教時の年齢24歳

(14)聖ゴンザロ・ガルシア インド、修道士 ポルトガル人を父、インド人を母としてインドに生まれる。 16歳のとき来日し、イエズス会司祭のもとで伝道士として働く。その後、マニラに渡りフランシスコ会の修道士となる。 日本語に熟達していたため、通訳として1593年再来日し、フランシスコ会の布教活動を助けた。 ヤリで突かれる前、刑吏に悔悛と改宗をすすめたという。 殉教時の年齢40歳

(15)聖フランシスコ・ブランコ スペイン、ガルシア、司祭 神学校在学中にメキシコへ渡り、フィリピンへ行く前に司祭に叙階。  フィリピンでマルチノ神父に師事し、神父とともに来日。 熱心に日本語を学び、数か月で日本語で教えを説き、告解を聞けるほどになった。 十字架にはりつけられた時の顔の微笑が死後も消えなかったという。  殉教時の年齢28歳

(16)聖フランシスコ・デ・サン・ミゲル スペイン、修道士 21歳のとき、スペインのバラドリドにあるフランシスコ会で修道院に入り、30年の修道生活をおくる。 フィリピンの病院で勤務していたとき、日本人の患者と会い、日本での布教活動を希望するようになる。 1593年、ガルシア修道士とともに来日。 貧しい人や病人の友となり、愛徳の実践者。  殉教時の年齢53歳

(17)聖マチアス 京都 家がフランシスコ会修道院のすぐ近くにあった。 洗礼後、間もなく迫害が始まり捕えられた。 逮捕のとき、京都の修道院に居たキリシタン信者。 逮捕者の名簿に載っていたのは、料理人のマチアスであったが、マチアス本人が返事をしなかったので、彼が代わりに進み出て殉教者の中に加えられることとなった。 殉教時の年齢不詳

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