日曜日, 4月 28キリスト教・例話集・週報アイデア集
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キリスト教

アドベントとは?

アドベントとは?

12月 (師走), キリスト教
いよいよ12月です。師走ともいわれ、なんとなく気忙しい時でもあります。しかし、イエス・キリストを知る者にとっては、特別な気持でこの時期を迎えたいものです。 アドベントとは、ラテン語で『来臨』という意味で、『待降節』と訳します。クリスマスの4週間前の日曜日から始まります。私たちが、キリストの来臨をおぼえて過ごす期間です。 キリストの来臨というと、主イエスはすでに2000年前に、ベツレヘムでお生まれになったという出来事を思い出します。神の人類を救うという愛は、神ご自身が受肉され、十字架にかかって私たちの咎を贖ってくださったということによって示されました。ですから私たちの救いは、確実に現実のものとなりました。私たちが救われた喜びを深く思いながら過ごすのが、このアドベントです。1週毎に、1本のろうそくを立て、その思いを深めていくのです。 しかし、私たちは、キリストの第2の来臨をも忘れてはなりません。つまり、「あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります」(使徒1章11節)と言われたキリストの再臨についてです。その時私たちは、最も親しいお方として、キリストにお会いするのです。花嫁が、花婿を待つように、私たちは希望に満ちてこの方を待つことができるのです。私たちは、聖霊に導かれ、祈りを深め、イエス・キリストが生き生きと自分に出会ってくださるという経験を深めていきましょう。...
『本』という名の本

『本』という名の本

キリスト教, 人物, 知識
Sir Walter Scott, 1771年8月15日 - 1832年9月21日)スコットランドの詩人、作家。エディンバラ大学で法学を学び、父の跡を継いで弁護士となる。25歳より文筆活動を始め、当初は詩人として、後に歴史小説作家として名声を博す。イギリスの作家としては、存命中に国外でも成功を収めた、初めての人気作家といえる。代表作として『ロブ・ロイ』、『アイヴァンホー』、『湖上の美人』、『ランメルモールのルチア』の原作となった小説『ラマムアの花嫁』など。ウォルター・スコットの肖像はスコットランド銀行発行のすべての紙幣に使用されている。 ● 8月15日はイギリスの詩人であり作家のウォルター・スコットが生れた日です。彼が瀕死の病床にある時、婿に本を持ってくるようにたのみました。婿が「何の本でしょうか。」とたずねると、「本といったら聖書にきまっている。」と言い、聖書を読んでもらい、心に大いなる安らぎを得ました。 ● このように、聖書は最初から「聖書」だったのではありません。「聖」という字は後世に追加されたのであり、もともとは「書」と呼ばれていました。英語の「バイブル」、この語の由来をたずねると、ギリシャ語の「ビブロス」で、「本」という意味です。つまり、聖書という本は最初「本」(the Book)と呼ばれていたのです。日本語でいえば、「本の中の本」という意味です。 ● 「お花見」といえば、バラやチューリップを見るのではなく、桜のこと。それほど日本人にとって桜は「花の中の花」なのです。)じように「本の中の本」「本という名の本」、それがバイブル、聖書なのです。キリスト教以外でも「○○教会」と用いられる昨今、「育児のバイブル」「料理のバイブル」などと使われると、「本の中の本」という意味が次第になくなっていくような気がするのは、淋しいかぎりです。 ● 「あなたは本を読んでいますか...
ペンテコステ

ペンテコステ

キリスト教
キリストの復活後40日を経て昇天された日を記念した日が昇天日で2011年は6月2日です。さらに10日後、復活日から50日目の主日が、聖霊降臨日(ペンテコステ)です。この日は、聖霊がくだって教会が誕生した記念日です。“ペンテコステ(πεντηκοστη)”というのは、ギリシャ語で50番目という意味で、“五旬節の日”ともいいます。レビ記23:16によると、「7回目の安息日の翌日まで50日を数え・・・」とありますから、この日は日曜日にあたります。 私たちの主は「安息日が終わって、週の初めの日の明け方(マタイ28:1)」つまり日曜日に復活されました。また、それから50日目の日曜日に、「助け主、すなわち、父がわたしの何よってお遣わしになる聖霊(ヨハネ14:26)」が、主の約束通りに下って、教会が誕生したのです。 キリスト者にとって、日曜日には、復活の事実によって、イエス・キリストこそ、真の神であると告白できますし、また私たちもいつの日か復活するという希望を持つことができます。また、助け主である聖霊が下ったことによって、私たちの内にキリストが生きていてくださり、困難な時には助け、またさらにキリストを現実のお方として、明確に意識させてくださるのです。日曜日こそ、キリスト者にとって、義務ではない、喜びをもって主を礼拝する日です。...
聖霊とは?

聖霊とは?

5月 (皐月), キリスト教, 知識
● 聖霊は、私たちの目には見ることはできませんが、神的人格をもったお方です。よく神からの力と表現することによって、人間の力のように人格のないもののように考える人がいますが、それは正しくありません。「聖霊は、すべてのことを探り・・(Ⅰコリント2:10)」「御霊が・・・賜物を分け与えてくださる(Ⅰコリント12:11 )」「御霊は、・・・聖徒のためにとりなしをしてくださる・・(ローマ8:27)」のように人格としての性質をもっています。つまり神ご自身です。 ● 聖霊は目に見えないのですが、聖書には「神の御霊が鳩のように下って・・(マタイ3:16)」や「激しい風が吹いて来るような響きが起こり・・・炎のような分かれた舌が現われて(使徒2:2,3)」などの記述から聖霊を、鳩、炎、油、風などにシンボル化することがありますが、勿論、それらと同一という意味ではありません。 ● 聖霊は、父なる神と子なる神によって遣わされた方であり、現在の働きにおいては父と子に従属しています。例えば“礼拝”においては聖霊を礼拝するようにとは聖書に書かれていませんが、聖霊の導きにあって礼拝するように勧められています。聖霊の使命と喜びは、信者を父と子とへの礼拝に引き出すことだからです。 ● 聖霊は次のような働きをします。 ・信者を新たにし、新生させる。(ヨハネ3:3~5) ・信者を、罪と死の法則から解放する。(ローマ8:2) ・信者を強くする。(エペソ3:16) ・信者が神の子どもであることをあかししてくれる。(ローマ8:16) ・信者に、キリストの品性の実を結ばせる。(ガラテヤ5:22,23) ・信者に、キリストの御言葉を思い出させる。(ヨハネ14:26) ・信者を、感謝と賛美に導く。(エペソ5:18~20)...
イースター

イースター

キリスト教, 知識
○ 3月21日は『春分の日』です。『春分の日』と『イースター』とは関係があるのでしょうか。イースターをいつにするかで、いろいろな意見がありましたが、ニカイア会議(325年)以降は、「春分の後にくる最初の満月の次の日曜日」と定められました。 ○ それによると、今年のイースターは、4月24日。そして西暦2016年は、3月27日です。その年によって、1か月近くも動きがあるのですね。 ○ でも、北半球の春分の日は、南半球では秋分の日となりますし、春分の次の満月といっても地球上どの場所にも同時に来るわけではありません。そのために、復活の聖日がずれてしまうことがあります。 ○ こんなことから、イースターを固定しようという動きが出ています。「4月第2土曜日の次の日曜日」という案です。 ○ 今日、日曜日がクリスチャンの集会日となっているのは、日曜日にイエスが復活されたことを記念しているからです。それまで土曜日を安息日として守っていたのに対し、キリストに従う者たちは、主イエス・キリスト復活の記念日である日曜日を聖日としたのです。ですから、毎日曜日は主イエスの復活記念日、小さな復活節なのです。...
復活についての証言

復活についての証言

キリスト教, 歴史, 知識
多くの人たちは奇跡について信じようとはしません。しかし、最大の奇跡は、イエス・キリストの復活です。イエスがいろいろと不思議なわざをなされたことによって、イエスの偉大さを証明するだけならば、すでに多くのわざをされてきました。 しかし、イエスの『復活』は、 1.福音の中心の真理 2.イエス・キリストの神性を確証 3.キリストの祭司の働きを確証 4.十字架の救いを確証 5.最後の審判のあることを確証 6.信者も復活することの確証 ということを含んでおり、復活のない福音は無意味なのです。では、復活が事実あったと、なぜいえるのでしょうか。 ●「空になった墓」によって明らかです。 ・主イエスは、完全に埋葬され、ローマ兵の厳重な 警戒の中でよみがえられました。 ●「霊のからだ」によって明らかです。 ・主イエスは、霊のからだをもって、人々の前に   あらわれました。それは、外見は埋葬前の肉体と 同じようでしたが、時間や空間の制約を受ける   ことのないからだでした。 ●「預言の成就」によって明らかです。 ・旧約聖書(詩篇 16:10) にもあり、またイエス   御自身も復活について預言していました。 ●「目撃く」によって明らかです。 ・マリヤ(ヨハネ20:16, マタイ28:9,10)  ・ペテロ(ルカ24:34) ・弟子たち(ヨハネ20:19,20)  ・500人以上の人々(Ⅰコリント15:6) ...
死と復活

死と復活

キリスト教, 歴史
イースター(復活節)を前にして、『復活』という不思議な出来事を考えてみましょう。なぜ、不思議なのかというと、現在まで数えきれないほどの人々が生まれてきましたがたった1人を除いて、すべての人が死んでいきました。そのたった1人とは、イエス・キリストです。彼は他のすべての人が『死』というかたちを迎えたままであるのに、『死』を迎えましたがそれで終わることがなく、『復活』しました。 死とはなんでしょうか。『死』とは、人の肉体と魂が分かれることです。分離したあとの肉体は、時間とともに変化していって、やがてちりになります。私たちは、このような『死』について多くを見ています。ですから『復活』については聖書の語るイエス・キリストの姿を信じるよりほかに方法を知りません。 『復活』とは、死によって一旦別れた魂と肉体とが再び合体して、死よりよみがえることをいいます。その時の肉体とは、「キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。(ピリピ 3:21)」とあるように、一種不思議なからだです。でも、実体のないからだではありません。イエスがそうであったように、肉もあれば骨もあるからだで、食事もすることができた、目で見、手でさわることのできるからだです。このからだは、永遠に変わることがありません。これがからだの救いです。 「私たち自身も・・・・・ 私たちのからだの購われることを待ち望んであます。」 (ローマ8:23)...