土曜日, 4月 27キリスト教・例話集・週報アイデア集
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カレンダー・陰暦・旧暦

新年に死の話?!

新年に死の話?!

1月 (睦月), 知識
 「昔、ある高僧のもとに、元旦に年始にやってきた男が、記念に一筆、何か縁起の良いことを書いて下さい、と頼んだ。快く僧は承知して筆をとると、サラサラと書きつけたそうだ。『親死に、子死に、孫死ぬ』。読んだ男はカンカンに怒って、『正月早々何でそんなことを書くんですか』と抗議すると、僧は静かに微笑して、『いや、こんねええことはないではないか。親が死んでから子が死ぬ。子が死んでから孫が死ぬのでええので、これが逆になったら大変なことだ』と言ったので、その男もなるほどと納得して、その書を大切に持ち帰ったということである。」 この話には、読む人をドキリとさせる組み合わせの面白さがあります。「高僧」と「男」、「元旦」と「死」です。年の初めに死について語る、これはだれでもびっくりします。しかし、ここに高僧とただの男の違いがあるのです。 死は、だれにも必ず訪れるものです。ただ、自分は今死ぬことはないと思っているだけで、1時間後に死ぬかもしれません。死について考えないことが、最も良い方法だと思っているだけです。運動会で、ゴールがわからずに走り出す人はいません。年の初めに、死をしっかりと見据える、これはスタートに立ってゴールを確認することです。勿論クリスチャンにとって、肉体の死がゴールではなく、その先もあるのですが、死に勝利したキリストに自分のすべてを置く決意を、年の初めにあたってしましょう。そうするならば、困難も病気も死も、私たちにとって心をひきさくものではありません。...
シャルル・ペギー (1873年1月7日生)

シャルル・ペギー (1873年1月7日生)

1月 (睦月), 人物
シャルル・ペギー (1873年1月7日生) (Charles Péguy、1873年1月7日 - 1914年9月5日) 1873年1月7日生まれのフランスの文学者シャルル・ペギーは、その著書『金銭』の中で次のように言っています。 「いまだかつて金銭がこれほどまでに、唯一の主人であり、神であったためしはない。・・・ かくも現実的なるものが精神的なるものにたいして防禦されていたためしはなく、かくも精神的なるものが現実的なるものにたいして無防禦であったためしはない。」 100年ほど前のペギーのことばは、現在のしかも日本の私たちにぴったりの警告のことばのような気がします。私たちが外国の人々から、エコノミックアニマルと言われて久しいですが、その体質は、一向に変わってはいません。しかも、クリスチャンの中にもそうした体質があるとしたら、注意しなければなりません。経済的に豊かになること、自分の願い通りに事が進むこと、これらが神の祝福であり、信仰の成長であると考えたら、私たちは金銭を神とすることになるでしょう。イエス・キリストは、この地上を歩まれた時、何一つこのような意味での神の祝福を持ったことはありませんし、求めたことはありませんでした。「人の子には枕する所もありません。」と語られたイエスは、復活までの一時の十字架から降ろされた御自身のからだを置くための墓も、他の人が用意したものを受けました。 今年、新しい主の導きを期待して始めたあなたの目標は何でしょうか。「現実的なるもの」でしょうか、「精神的なもの」でしょうか。あなたの定めた目標が、神の意図からはずれたものであるなら、あなたの努力と期待は、むなしいものになります。 「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(Ⅱコリント4:18)...
新年

新年

1月 (睦月), 知識
『新年』・・・ このことばは、私たちの心に、ある種の期待感をいだかせます。失敗した者には、やり直しのチャンスを、マンネリに苦しんでいる者には、脱出の道を、・・・ そうした挑戦への入口に私たちは立っているのです。 その扉は、平穏無事を望み、楽しみを求めるための休息を願っている者にはふさわしくありません。それはちょうど、頂上を見上げて、力強く登ろうとしている登山家のような意気込みをもった者にこそ、押し開かれるのです。 神の山を登る者には、危険な岩場が待ち受けています。はらはらするような細い道もあります。一時の休息はありますが、長い時間休んでいることは許されません。さらに高みを目指して登らなければならないからです。しかし、吹雪があるときには、じっと動かずに待っているという忍耐も要求されます。 しかし、その山に一人で登るのではありません。聖霊という助けるお方がいるのです。この方によって、私たちは次のような体験をするでしょう。 「私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。」  聖書  ハバクク書 3章19節 神は確約されない  空がいつも青く  年中  道に花が咲いているとは 神は約束されていない  晴天の日だけで  雨が降らないことを  喜びだけで  悲しみはなく  平安のみで傷つき痛むことがないとは 神は約束された  日ごとに必要な力を  労く疲れた者には休息を  道を歩む者には光を  すべての試練に恵みを  上よりの助けを  決して変わらぬ哀れみを  たえることなき永遠の愛を                                                  (アニー・J・フリント)...
クリスマスはなぜ12月25日なの?

クリスマスはなぜ12月25日なの?

12月 (師走), 知識
イエス・キリストの誕生日については、どこにも記録はなく、正しい月日はわかりません。12月にクリスマスが行なわれるようになったのは、3世紀の初め頃のローマからといわれています。もともと、ローマ人は冬至に農神祭を行なっていましたが、特に12月25日は、冬至の後で太陽がよみがえる1年の変わり目として重要視されていました。 つまりこの日から、長い夜の闇に打ち勝って、太陽の光りの時間が長くなるわけです。これが暗かった世界に、救い主が生まれたというキリストの誕生を、初期のクリスチャンがイメージをダブらせたわけです。いろいろな異教の神々が周囲にある中にあって、キリストを『義の太陽』として受け入れた人々の心は、喜びで満ちあふれたことでしょう。   わたしの名を恐れるあなたがたには、 義の太陽が上り、 その翼には、癒しがある。 あなたがたは外に出て、 牛舎の子牛のようにはね回る。    (聖書・マラキ書4章2節)   わたしを恐れるあなたがたには 救いの光が大きく輝き、 その光には罪の赦しがある。 あなたがたは牛舎から出る子牛のように 外に出て、はね回る。           (現代訳聖書) ...
サンタクロースのお話

サンタクロースのお話

12月 (師走), 歴史
☆ 3世紀の末ごろ、小アジアのパタラという港町で、信仰深いお金持ちの家に、ニコラスという子どもが生まれました。ニコラスが少年だった時、両親は相ついでなくなりました。その後、ニコラスは、神学校に入学し、ミラという町で司教になりました。ニコラスは、博学であったばかりか、非常に有徳な人物でした。親ゆずりの莫大な財産を貧しい人々に恵んであげたり、病人の薬代を払ってあげたり、子どもたちには玩具や本を与えたり、惜しみなく人々に与えました。町の人々は彼を心から尊敬し、サンクッス・ニコラウス、つまり聖ニコラスと呼びました。 ☆ ニコラスは、345年12月6日、60歳で亡くなりました。その後、オランダ、ベルギー、ドイツなどで12月6日を『ニコラスの日』と呼び、子どもに贈り物をする習慣ができました。この習慣が、17世紀  オランダの移民とともにニューアムステルダム(今のニューヨーク)に伝わり、クリスマスと一緒に祝うようになりました。オランダなまりで、シント・クラエスと呼んだのが、サンタクロースになったのです。 ☆ 1863年、アメリカの漫画家トマス・ナストが、これまで伝わってきた話を参考に、サンタクロースの絵を描きました。今日見られるように、とんがり帽子に赤い服を着て、白いひげをはやしたサンタクロースの姿は、このナストの絵によって誕生したのです。 ☆ クリスマスは、神が人間との関係を回復するために、ご自身の方からひとり子を十字架にかけるために与えてくださった愛の時です。 「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。聖書1.ヨハネ 4章10節...
サンタクロースのトナカイ

サンタクロースのトナカイ

12月 (師走), 知識
♪ 私はトナカイ。そうサンタクロースさんのそりを引いています。世界中を走り回らなくちゃならないから、とても忙しいの。 ♪ 私はメスです。えっ、角があるのにメスかって?ええ、これにはこんな事情があるのです。トナカイには、オスもメスも角があります。ところが冬の初めの11月ころ、オスの角はぽろりと落ちてしまいますが、メスの角は落ちないで残ります。その理由は私にもよくわかりませんが、角のあるメスのほうがオスより強い立場になるのは確かです。ですから冬の間、乏しい食料も、角のおかげで、オスよりも多くとることができます。勿論、メスだけがたくさん食べるということではなく、メスにはたいてい子どもがいるでしょう。きびしい冬の間角のおかげで、メスや子どもが飢え死にせずに過ごせるというわけ。神さまは、すばらしいプレゼントをくれたものです。 ♪ ですから、サンタクロースのそりを引いているトナカイで、角をつけたのは、全部メスというわけ。どう?女性は働き物でしょ。 ♪ ところで私たちは何頭でそりを引いていると思いますか。1頭?2頭?・・・ それは中小企業のサンタクロース。正しくは8頭です。そんなにいたかって?アメリカの神学博士クレメント・クラーク・ムチ 週という人の「クリスマスの前の晩、聖ニコラスがやって来る」という詩の中に出てくるのです。ムーアの詩によると、サンタのそりを引くトナカイは全部で8頭で、しかも1頭ずつに名前がついています。それはダッシャー、ダンサー、プランサー、ビクスン、コメット、キューピット、ダンダー、ブリッツェンの8頭です。名前があるなんて、あなた知ってた?...
クリスマス・リース

クリスマス・リース

12月 (師走), 知識
★クリスマスの時期、扉にかけたり、窓につるしたりする緑の輪の飾り、それがリースです。なぜ『輪』の形にするのでしょうか。それは古代の勝利の冠の形でありこの世の勝利者イエス・キリストにふさわしいものです。また「時満ちて」L」救い主が誕生したことをあらわします。   ★材料は、モミ、ヒイラギ、イチイなどの常緑樹を用います。これは冬でも枯れない「永遠の生命」をあらわします。キリストがいばらの冠をかぶせられたことを思い起こすものであり、小さな赤い実はそのときに頭から流された血潮を意味します。ヒイラギは、ちょうどクリスマスの頃、他の草木が枯れしぼむのに、葉はいよいよ緑になり、まるで一滴一滴したたるキリストの血を思わせる赤い実をみのらせるので時季にも適しています。   ★中央にベルをさげますが、金は父なる神、銀は子なる神でありベルの音はこの世に救い主がお生になったという福音を告げ、私たちに生きる希望を与えてくれます。 ★そして、4本のろうそくを等間隔で立てます。救い主の誕生を待ち望んでいた人々の思いに合わせて、1週間に1本ずつ増していくのです。アドベント(待降節)を神の愛を覚えて過ごしましょう。  ...
アドベントとは?

アドベントとは?

12月 (師走), キリスト教
いよいよ12月です。師走ともいわれ、なんとなく気忙しい時でもあります。しかし、イエス・キリストを知る者にとっては、特別な気持でこの時期を迎えたいものです。 アドベントとは、ラテン語で『来臨』という意味で、『待降節』と訳します。クリスマスの4週間前の日曜日から始まります。私たちが、キリストの来臨をおぼえて過ごす期間です。 キリストの来臨というと、主イエスはすでに2000年前に、ベツレヘムでお生まれになったという出来事を思い出します。神の人類を救うという愛は、神ご自身が受肉され、十字架にかかって私たちの咎を贖ってくださったということによって示されました。ですから私たちの救いは、確実に現実のものとなりました。私たちが救われた喜びを深く思いながら過ごすのが、このアドベントです。1週毎に、1本のろうそくを立て、その思いを深めていくのです。 しかし、私たちは、キリストの第2の来臨をも忘れてはなりません。つまり、「あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります」(使徒1章11節)と言われたキリストの再臨についてです。その時私たちは、最も親しいお方として、キリストにお会いするのです。花嫁が、花婿を待つように、私たちは希望に満ちてこの方を待つことができるのです。私たちは、聖霊に導かれ、祈りを深め、イエス・キリストが生き生きと自分に出会ってくださるという経験を深めていきましょう。...
サンクスギビングデー

サンクスギビングデー

11月 (霜月), 歴史
なぜ七面鳥を食べるの?  いろいろな説がありますが、コロンブスがアメリカ大陸に到着してから、ヨーロッパ諸国は、アメリカ大陸を「新世界」と呼び、植民地計画を進めていました。当時、宗教改革の嵐が吹き荒れていたイギリスでは、分離派のピューリタンが、国教会の弾圧を逃れてオランダに亡命していましたが、生活苦に悩まされた彼らは、信仰に基づいて自由に生活できる地を求め、アメリカ大陸に渡ることを決意。ピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers)と呼ばれた彼らは、メイフラワー号(Mayflower)で1620年の冬、マサチューセッツ州のプリマスに到着しました。だが、寒さと食糧不足のため、102人いた彼らのうち半分以上が死んでしまい、残った者は、先住民であるインディアンから狩猟や農耕を学び、春と夏を必死で働きました。そして、収穫の秋がやってきたとき、収穫を喜び、神に感謝をするため、彼らは集い、会食を催しました。その席に、彼らの恩人でもあるインディアンも招かれ、七面鳥やかぼちゃなどを食べ、神に感謝を捧げました。これが、現在のThanksgivingの始まりです。クリスマスやイースターなど、神に感謝する特別な日に、何も豪華な物がなかった中で、少しでも色をそえようとしたのでしょう。私たちの食卓にも、神への感謝がなによりのご馳走にならなければなりませんね。 アメリカでは、どんなふうに祝うの?  毎年、11月第4木曜日のThanksgiving Dayと、翌日のAfter Thanksgiving Day、そして土日を合わせた4連休は、学校、会社、公共機関などのほとんどが休みとなる。水曜の夜には、アメリカ人は皆、故郷に帰るための大移動を開始。この日は、高速道路や交通機関が1年で最も混雑する日だ(まるで日本のお盆やお正月?)。そしてThanksgiving Day当日は、七面鳥やパンプ...
内なる戦い (インド首相ネルー1889年11月14日生)

内なる戦い (インド首相ネルー1889年11月14日生)

11月 (霜月), 人物
 インドの独立後の首相として、国際政局に平和推進の大きな役割を果たしたネルーは、1889年11月14日に生れています。彼の残したことばの中に。次のようなものがあります。   『人間のなかには、何かしら悪魔的なものもあると同様に、神ににた何ものかが存在する。』  自分を冷静に考えることができる人ならば、このことばに同意するでしょう。クリスチャンになってからも、この悪魔的なものと戦わなければなりません。否、むしろその戦いは烈しくなることでしょう。そして、この悪魔的なものは、神に似たものに装ってきたりするので、主から目をそらしたりすると、その見分けがつかなくなることがあり、失敗するときがあります。  しかし、クリスチャンは恐れてはいけません。私たちは、すでに神の霊をもっています。「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。(IIテモテ1:7)」とあるからです。私たちが御霊の指示に従うならば、悪魔的なものに負けるようなことはありません。恐れが出てきたら、私たちはすでに神の子の身分が与えられていることを思い出しましょう。疑いが出てきたら、十字架で死に、復活して昇天されたキリストが、すでに御霊を与えてくださっていることを思い出しましょう。  私たちがこの地上にいる限り、悪魔との戦いは続きます。しかし、キリストはすでに勝利をされているのです。この事実を思い出しましょう。...