木曜日, 5月 9キリスト教・例話集・週報アイデア集
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カレンダー・陰暦・旧暦

神々のいない月 – 10月

神々のいない月 – 10月

10月 (神無月), 知識
エビス 先週は、10月を神無月といって、日本中の神々が出雲で会議をするために集まるので神々が不在の月だと書きましたが、全員がいなくなるわけではありません。それでは人々が困るので留守番の神々もいるのです。 海の神とされる住吉の神、病気や悪霊から守る道祖神、かまどの神とされる荒神(コウジン)などです。しかし、最も大衆的なのがエビスです。「恵美寿」「恵比須」「夷子」などとも書かれます。 エビスの祭りである『恵美須講』は、正月と10月に行なわれます。特に10月は、 ほかの神々がいない月ですから、 10月の方が盛大に人を集めることに なります。エビスは七福神の1人で、右手に釣ざお左の小脇には鯛をかかえています。はじめは、海の神でしたが後に農業の神となり、商業の神となりました。ですから10月はエビスにちなんだ売り出しなどをすることが多いのです。 ではなぜエビスが出雲に行かないのでしょう。理由として、エビスは足が悪く耳が聞こえないので旅行に行きたがらないといわれています。なんだか障害のある神なんて変ですね。 他の人が何を信じていたって、迷惑をかけるようなものじゃなくて、その人自身が幸せそうにしていたら、それでいいじゃないかというのが一般の考えです。でもあなたは、キリストを知った今、やはり自分はキリスト、他の人はエビスでもいいと思いますか。     「この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。(ルカ 7:47)...
神々のいない月 – 10月

神々のいない月 – 10月

10月 (神無月), 知識
神無月 10月の異名に「神無月」というのがあります。なぜそのように言われるのかいろいろな説がありますが、最も一般的なのが、八百万の神々が会議をするために出雲へ行ってしまうのでいなくなるというものです。その会議とは、全国の神々がそれぞれ適齢期の氏子のリストを持ち寄り、良縁を定めまとめるためだといわれています。 では、聖書が語っている神と日本の神々とどのように違うのでしょうか。本居宣長のことばによると、「凡て迦微(カミ)とは古の御典(ミフミ) 等に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊を申し、又人はさらにも云ず、鳥獣木草のたぐひ海山など、共余何にまれ尋常ならずすぐれたる徳(コト)のありて、可畏き物を迦微とは云となり、抑、迦微は如此く種々にて、貴きもあり賤きもあり、強きもあり弱きもあり、善きもあり悪きもあり・・・ 」と書いています。つまり日本の神々は、一般の人々よりもすぐれた力があると感じられる自然や人、神話の神々などで、善い神も悪い神もあるということです。 それに対して聖書の語る神は、万物を創造された唯一の善なる性質しか持っていないお方です。そして、人間がその存在を信じても信じなくても存在は事実であり、すべての人間を支配の中におさめていることを示しています。それが真理だというのです。しかし、日本の神々を認める人は、神々に善と悪、強い神と弱い神があるわけですから、自分の願いにふさわしい神を選んでお願いをしているのです。 信仰とは、何を信じても自分日都合に合っていればよいというものではなく、それが真理なのかということが大切なのではないでしょうか。 ...
神々のいない月 – 10月

神々のいない月 – 10月

10月 (神無月), 歴史
神と神々 日本に住む私たちが、他の人にキリストについての信仰を語る時に困難を覚えるのは、一般の人々が感じている神と、聖書の語る神の違いが、うまく伝わらないということではないでしょうか。それにはこんな歴史があります。 16世紀の中頃に、日本にキリスト教が伝えられましたが、当初、キリスト教では、その神を「大日」とよんでいましたが、大日如来との混同をさけて「デウス」「天主」「天帝」等とよぶようになりました。明治初年に、キリスト教の神がさかんに説かれるようになりましたが、日本のカミと混同しないように、「天」「上帝」「真神」等の訳語が用いられましたが、聖書の翻訳にあたって、「GOD」の訳語がきまらず、委員の票決によって、一票差で「神」が採用され、この後は、「神」と訳すことが一般化しました。 全国の神々が集まるといわれる出雲大社の祭神は、オオクニヌシノミコトです。出雲大社は、天正19年(1591年)、豊臣秀吉の朝鮮出兵に関して、軍資金供出のために神領を召し上げられたため、経済的に困り、全国へ巡回布教師を送り出し、現世利益の縁結びという宣伝をしたら、ヒットしたというわけです。 私たちは皆、幸せを求めて生活をしており、現世利益を求める気持は持っています。しかし、キリストに出会ったから後も、自分の願いだけを持ち続けて、キリストを信仰していこうとするならば、他の神々を信じるのと同じになり、結局その願いがかなえられなければ、信仰そのものを失うことになりかねません。聖書の原則は、あなたの願いをかなえるから神に信頼しなさいというのではなく、その逆で、神に信頼するなら、あなたの生活は守神がるというものです。 「あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。」(申命記 28:2)...
8月7日

8月7日

8月 (葉月), 知識, 祝日・記念日
◆ 8がつ7にちは「ハナ(はな)で、「鼻の日です」鼻の働きは、ずり落ちる眼鏡を留めておくだけのものではありません。これを機会に、あなたの鼻の働きを理解しましょう。 ◆ 1分間に約16~18回、生きている限り、呼吸を忘れるわけにはいきません。肺や気管に適当な温度と湿気のある空気を送り込むのが鼻の役目です。祈りは呼吸といわれますが、バッカス博士は、あと30分もすれば息をひきとるということを医師から聞きました。すると「それではその30分間世界が1日も早く救われるために祈りましょう。」と、ベットからおり、そこにひざまずいて、祈りながら死んでいったといいます。あなたは祈りの呼吸をしていますか。 ◆ 平常の1回の呼吸量は0.5リットル。1分間に16回呼吸するとして、1日に吸う空気は聖書リットル。つまり、4畳半の部屋と同じくらいの体積の空気を呼吸しています。どんなに頭の良い人でも、力の強い人でも、呼吸が止まればそれで終わり。聖書のことば。「鼻で息をする人間に頼ることをやめよ。そんな者に何の値打ちがあろうか。」(イザヤ 2:22) ◆ 鼻のもう1つの仕事は、においを嗅ぐことです。においには約40万種類があり、そのうち人間は10万種嗅ぎ分けられるといいます。しかし、カビ止め、防腐剤として用いられているプロピオ酸の入っている食パンを人間はおいしいそうに食べますが、ブタは食べません。その有毒性を嗅ぎ分けるからです。安もののカマボコも有毒添加物が入っており、ネコは嗅ぎ分けて食べません。人間のように、においを嗅ぎ分けられないものは、幸いでしょうか、不幸でしょうか。...
文月 (ふみづき)

文月 (ふみづき)

7月 (文月), カレンダー・陰暦・旧暦
● 7月は文月(ふみづき)といいます。それで特に、7月23日は、文月に23(フミ)ということで、郵政省が昭和54年夏から、「ふみの日」とそました。日頃、御無沙汰しがちな方へ手紙を書いてみてはいかがでしょう。 ● 夏らしい暑さがやって来ましたが、「暑中見舞」は、立秋(今年は8月8日)までに出すものだそうです。立秋を越えたら「残暑お見舞」となります。 ● 聖書の中に、手紙文はいくつありますか?正解は、新約聖書に21。そのうち13はパウロによって書かれたといわれています。手紙の並通、読み始めたら最後まで読むものです。これを機会に、21ある手紙を1つずつ読んでみてはどうでしょう。「父親である神から、子供である私たちに『私がおまえたちの父親だよ、私がおまえたちを私のところへつれもどすために、私の息子をやるよ。この息子に私のところまでつれてきてもらいなさい』という手紙が来たのです。この手紙が『聖書』息子が『イエス・キリスト』」 ● 長い手紙の記録は、100年ほど前フランスの画家レクルールが恋人に「Je vous aime.(私はあなたを愛します)」と、なんと187万5万回繰り返して書いた手紙を送ったそうです。短い手紙で有名なのは、フランスの文豪ビクトル・ユーゴーが『レ・ミゼラブル』を書いたとき、出版社へ送ったもの「?」の一字。またその返事は「!」だったそうです。その意味は、「?」=「本の売れ行きは?」、「!」=「すばらしい!」...
聖霊とは?

聖霊とは?

5月 (皐月), キリスト教, 知識
● 聖霊は、私たちの目には見ることはできませんが、神的人格をもったお方です。よく神からの力と表現することによって、人間の力のように人格のないもののように考える人がいますが、それは正しくありません。「聖霊は、すべてのことを探り・・(Ⅰコリント2:10)」「御霊が・・・賜物を分け与えてくださる(Ⅰコリント12:11 )」「御霊は、・・・聖徒のためにとりなしをしてくださる・・(ローマ8:27)」のように人格としての性質をもっています。つまり神ご自身です。 ● 聖霊は目に見えないのですが、聖書には「神の御霊が鳩のように下って・・(マタイ3:16)」や「激しい風が吹いて来るような響きが起こり・・・炎のような分かれた舌が現われて(使徒2:2,3)」などの記述から聖霊を、鳩、炎、油、風などにシンボル化することがありますが、勿論、それらと同一という意味ではありません。 ● 聖霊は、父なる神と子なる神によって遣わされた方であり、現在の働きにおいては父と子に従属しています。例えば“礼拝”においては聖霊を礼拝するようにとは聖書に書かれていませんが、聖霊の導きにあって礼拝するように勧められています。聖霊の使命と喜びは、信者を父と子とへの礼拝に引き出すことだからです。 ● 聖霊は次のような働きをします。 ・信者を新たにし、新生させる。(ヨハネ3:3~5) ・信者を、罪と死の法則から解放する。(ローマ8:2) ・信者を強くする。(エペソ3:16) ・信者が神の子どもであることをあかししてくれる。(ローマ8:16) ・信者に、キリストの品性の実を結ばせる。(ガラテヤ5:22,23) ・信者に、キリストの御言葉を思い出させる。(ヨハネ14:26) ・信者を、感謝と賛美に導く。(エペソ5:18~20)...
きょうは母の日

きょうは母の日

5月 (皐月), 知識, 祝日・記念日
母の日というと、5月の第2日曜日とだれでも知っていますが、これはアンナ・ジャービスという女性が母の命日に、亡き母をしのぶ記念の会を催し白いカーネーションの花束を霊前にたむけ、参会者に分けたのが始まりといわれています。でもこれはアメリカでの話で、日本の母の日は、5月5日ということを、御存じですか?『国民の祝日に関する法律』には、こどもの日(5月5日)は、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」と書かれています。そして「幸福なるこどもは幸福なる母の所産である。母の慈愛に感謝し、母の努力に報い、母を祝福する意義がここにある」と説明されています。 でも、母への感謝は、法律にしばられたくないというのでしょうか、現在ではアメリカ流になっています。 母親を、敬いましょう。 「両親を尊敬しなさい。そうすれば、主であるわたしが与える国で、しあわせな一生を送ることができる。」 (出エジプト20:12)  母親には、従いましょう。 「かたくなで、逆らう子がおり、父の言うことも、母の言うことも聞かず、父母に懲らしめられても、父母に従わないときは・・・ 町の人はみな、彼を石で打ちなさい。」 (申命記21:18 21)   母親の生活が守れれるように、心を使いましょう。 「(十字架の上の)イエスは・・・ その弟子に『そこにあなたの母がいます。』と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。』(ヨハネ19:26,27)...
皐月(さつき)

皐月(さつき)

5月 (皐月), カレンダー・陰暦・旧暦, 知識
いよいよ5月になります。5月の古い言い方は、「皐月(さつき)」です。「さ」とは、田の神(あるいは、田植え)という意味で、「田の神の月」という意味です。「早苗(さなえ)」とは、「田の神の苗」という意味で、イネのなえです。ですから、皐月は早苗を植え始める月でもあるのです。もっともこれは旧暦での話ですから、新暦の現在では、1か月以上遅れることになるでしょう。 日本ではこのように、古くから稲作を中心にして生活してきましたから、 春になると、人の住んでいる里に「田の神」を迎え、米がよく育つようにお願いし、秋になると収穫を「田の神」に感謝し、山へ送るのが秋祭りでした。ですから、あくまでも人間の生活が中心になって、そこへカミを迎えて、よい生活ができるようにお願いし、また別の必要が生じたら別のカミにお願いをするのが、日本人の信仰生活でした。 クリスチャンになってからも、周囲の人のそのような姿を見て、キリストに対して、同じような信仰態度をもとうとすると、きっと挫折感を味わうことになるでしょう。自分中心からキリスト中心へ、キリストは愛の方であると全ての信頼を持つこと、これが日本的な信仰生活との違いでしょう。 5月5日の端午の節句は、中国から伝わったものですが、この日は厄日なので、変えようという考えから出ています。ですから葉が剣に似ている菖蒲や、香りの強いヨモギで魔除けをしようとしたのです。これも何か      行為によって、自分の生活から悪しきものを追い出そうという考えです。私たちが守られるのは、キリストによってです。キリストに全信頼を置き、キリストにつながっているならば、たとえ厄日であっても、悪魔がやってきても、信仰によって勝利することができます。 日本のいろいろな行事に出会う度に、私たちの信仰を今一度確かめましょう。 ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向か...
卯月 (うづき)

卯月 (うづき)

4月 (卯月), カレンダー・陰暦・旧暦, 知識
4月の古い言い方は『卯月(うづき)』です。ウノハナ(ウツギ)の咲く月なので、「卯月」というそうですが、金田一春彦氏は、「卯にあたる月」だから「卯月」なのだといいます。どうやらこちらの方が、正解という感じがします。 つまり、中国からきた順序をあらわす言い方『十二支』は、「子(ね)、丑(うし)、寅(とら)、卯(う)・・・」といきます。つまり4番目ということは「卯」なのです。4番目の月だから、「卯の月」になるわけです。その「卯月」に咲く花だから、「ウノハナ」というのだと金田一氏は言います。なるほど納得。ウノハナなるものは、どんな花だろうかと調べてみると「山野に自生し、また、生け垣などに植えられ、初夏白色の5弁花を開く高さ2mほどの落葉低木。・・・5~6月ころ、枝の先にふさ状に花をつける。・・・(平凡社『世界大百科事典』」とのこと。しかし、5月に咲く花が、どうして4月の花なのでしょう。つまり旧暦での4月だとすると、現在使っている新暦では、1か月以上のずれがありますから、5~6月ころという説明と一致します。 垣根に使われるウノハナは「うのはな  におうかきねにほととぎす  はやもきなきて  しのびねもらすなつはきぬ」と歌われますが、旧暦4月は夏なのでしょうか。旧暦では、1月、2月、3月が春(だから正月の年賀状に“迎春”とか“賀春”と書くのです)4月、5月、6月が夏です。ですから、ウノハナは初夏の花なのですね。旧暦と新暦のずれがありますから、どうもややこしいです。 神の造られた“春”をさがしに野に出てみませんか。四季のはっきりしている日本の自然は、神の創造された偉大な作品の展覧会場です。...
堆肥からの励まし

堆肥からの励まし

3月 (弥生), 人物
慌ただしい毎日を過ごしている時、ふと木の芽のふくらみに春を感じたり、空の青さに自然の大きさを感じたりしたことはありませんか。日頃、目に映っても見ていないものが多くあります。また、同じものを見ても、それから何を感じるかは人によって異なります。 物理学者の朝永振一郎氏(1906年3月31日 - 1979年)は、ドイツ留学中、孤独に苦しんでいたある日、郊外の麦畑のそばで堆肥のにおいを嗅ぎ、ふるさとを思い出し、「一人ぽっちでも何でも、それをあるがままに受容すれば、それでよいではないか、と何ものかにささやかれているような気分が起ってきた。」と書いています。 主は、野のゆりを見なさいと語られます。あすは枯れてもやされてしまう野の草でさえ、神様は美しく装ってくださるのだから、人間であるあなたを、どうして祝福し、守ってくださらないことがあるでしょうかと言うのです。そして、それを得るのは、信仰が必要です。神様に対する愛と絶対的な信頼です。もし私たちが目にするもの、耳にするものの中から、いつもこの神様の愛と偉大さを見い出すことができるなら、あなたには神様の恵みを受けるにふさわしい信仰が育っているといえるでしょう。 「世界が創造されてからこのかた、人々は、天地や、神様がお造りになったすべてのものを見て、神様の存在と、その偉大な永遠の力をはっきり知っていました。」 (ローマ1:20)...