日曜日, 4月 28キリスト教・例話集・週報アイデア集
Shadow

新年に死の話?!

 「昔、ある高僧のもとに、元旦に年始にやってきた男が、記念に一筆、何か縁起の良いことを書いて下さい、と頼んだ。快く僧は承知して筆をとると、サラサラと書きつけたそうだ。『親死に、子死に、孫死ぬ』。読んだ男はカンカンに怒って、『正月早々何でそんなことを書くんですか』と抗議すると、僧は静かに微笑して、『いや、こんねええことはないではないか。親が死んでから子が死ぬ。子が死んでから孫が死ぬのでええので、これが逆になったら大変なことだ』と言ったので、その男もなるほどと納得して、その書を大切に持ち帰ったということである。」

この話には、読む人をドキリとさせる組み合わせの面白さがあります。「高僧」と「男」、「元旦」と「死」です。年の初めに死について語る、これはだれでもびっくりします。しかし、ここに高僧とただの男の違いがあるのです。

死は、だれにも必ず訪れるものです。ただ、自分は今死ぬことはないと思っているだけで、1時間後に死ぬかもしれません。死について考えないことが、最も良い方法だと思っているだけです。運動会で、ゴールがわからずに走り出す人はいません。年の初めに、死をしっかりと見据える、これはスタートに立ってゴールを確認することです。勿論クリスチャンにとって、肉体の死がゴールではなく、その先もあるのですが、死に勝利したキリストに自分のすべてを置く決意を、年の初めにあたってしましょう。そうするならば、困難も病気も死も、私たちにとって心をひきさくものではありません。

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