月曜日, 5月 20キリスト教・例話集・週報アイデア集
Shadow

本当の幸せとは?(自分の生活はどうか考えてみてください)

ウポル島(西サモア)に住む酋長ツイアビが、20世紀のはじめにヨーロッパに行き、機械文明というものを初めて見た時の印象を彼独自の表現の仕方であらわした本があります。それが『パパラギ』です。パパラギとは白人を意味するそうですが、文明人という意味もあり、文明社会といわれるものに、やや批判的に用いられているのかもしれません。酋長はじめこの島の人々は、キリスト教を信じています。信仰の純粋さのゆえに、今の私たちがドキリとさせられるような文が載っています。原題の『パパラギ』(独:Der Papalagi)は、1920年にドイツで画家で作家のエーリッヒ・ショイルマンによって出版された書籍で、サモアの酋長ツイアビが訪問したヨーロッパについて話した演説をまとめたものとしているが、実際はショイルマンの手になるフィクションと言われています。それを今回から5回のシリーズで連載いたします。


パパラギ  その1
はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集

かしこい兄弟たちよ、信仰の心をもって耳傾け、おまえたちが白人の持つような悪意を持たず、文明人が怖れることを怖れずにいるのはしあわせだと思わねばならない。…
おまえたちも、あの宣教師の言葉をはっきりと覚えているだろう。「神は愛である。ひとりの真の救世主が常に愛そのものであるという善をなしたもうた。だからこそ白人の崇拝は、大いなる神にのみ向けられる」と。

宣教師は私たちに嘘をつき、私たちをあざむいた。パパラギが宣教師を買収し、大いなる心の言葉を借りて私たちをだましたのだ。丸い金属と重たい紙、彼らがお金と呼んでいる、これが文明人たちの本当の神さまだ。

愛の神について、ヨーロッパ人に話してみるがよい ー  顔をしかめて苦笑いするだけだ。考え方が子どもじみていると言って笑うのだ。ところが、ぴかぴか光る丸い形の金属か大きい重たい紙を渡してみるがよい。 ー とたんに目は輝き、唇からはたっぷりよだれが垂れる。お金が彼の愛であり、金こそ彼の神さまである。彼らすべての白人たちは、寝ているあいだもお金のことを考えている。手は曲がり、足の形は大赤アリに似た人びとがたくさんいる。例の金属と紙をつかもうとして、のべつ手を出しているせいだ。目が見えなくなった人もたくさんいる。のべつお金ばかり数えているせいだ。お金のために、喜びを捧げてしまった人がたくさんいる。笑いも、名誉も、良心も、幸せも、それどころか妻や子までもお金のために捧げてしまった人がたくさんいる。ほとんどすべての人が、そのために自分の健康さえ捧げている。丸い金属と重たい紙。彼らは折たたんだ固い皮のあいだにお金をはさみ、腰布の中に入れて持ち運ぶ。夜は、盗まれないように枕の下に置いて寝る。毎日毎時、あらゆる瞬間に、彼らはお金のことを考えている。みんながみんな!子どもでさえ!子どもでさえお金のことを考えねばならぬ。考える義務を持つ。母親からもそう教わり、父親もそうしている金属すべてのヨーロッパ人が!
「富み―お金をたくさん持っていること―は、幸福のもと」とパパラギは言う。
そしてまた「たくさん富みを持つ国、それはもっとも幸せな国である」とも。
おまえたち、明敏なわが兄弟よ、私たちはみな貧しい。太陽の下、私たちの国ほど貧しい国はない。私たちのところには、箱にいっぱいの丸い金属もなければ重たい紙もない。パパラギの考えからいえば、私たちはみじめな物ごいなのだ。

だがしかし!おまえたちの目を見、それを金持のアリイ(紳士・男)の目と比べるなら、彼らの目はかすみ、しぼみ、疲れているが、おまえたちの目は大いなる光りのように輝いている。喜びに、力に、いのちに、そして健康にあふれ、輝いている。

この記事を読んでどう思いますか。本当の幸せはお金にあるのでしょうか? (MN)

 

 

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