
何を所有すべきか?(自分はどうか考えてみて下さい)
自分の財産、家庭、時間、能力、そして生命・・・ これを私たちはどのように意識しているでしょうか。「これは神さまからお預かりしているもの」と口では言いながら、自分の楽しみのために、それらをどれだけ多く使っていることでしょう。そして、神との交わりをする時間以上に、自分の所有物をふやすための努力を、いかに多くしていることでしょう。神御自身の御霊を私たちが所有していることが、いかにすばらしいものであるか、もう一度考えてみましょう。
パパラギ その3 (パパラギとは白人または文明人の意味)
はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集
パパラギは一種特別な、そして最高にこんがらがった考え方をする。彼はいつでも、どうしたらあるものが自分の役に立つか、そしてどうしたらそれが自分の権利になるかと考える。それもたいてい、ただひとりだけのためであり、みんなのためではない。このひとりというのは、自分自身のことである。
もし、ある男がこう言うとする。「おれの頭はおれのもので、おれ以外のだれのものでもない」それはそうなのだ。たしかにそのとおりだ。それについてだれも文句を言えるものはない。手の持ち主以上に、その手の権利を持っているものはない。ここまでならパパラギは正しいと思う。だがその先、パパラギはこうも言う。「このヤシはおれのものだ」なぜかというと、ヤシがそのパパラギの小屋の前に生えているから。まるでヤシの木を、自分で生やしでもしたかのように。ヤシは、決してだれのものでもない。
決してそうではない。ヤシは、大地から私たちに向かって差し伸べたもうた神の手だ。神はたくさんの手を持っておられる。どの木も、どの花も、どの草も、海も空も、空の雲も、すべてこれらは神の手である。
私たちにはその手を握って喜ぶことは許される。だがしかし、こう言ってはならない。「神の手はおれの手だ」しかしパパラギはそ...