土曜日, 5月 11キリスト教・例話集・週報アイデア集
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神を信じる人のことば 7 – 遠山慶子 (1934-03-25-)

神を信じる人のことば 7 – 遠山慶子 (1934-03-25-)

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遠山慶子 (とおやま けいこ、1934-03-25-) ピアニスト 主にモーツァルトやフランス近代音楽の演奏で知られる。日本ショパン協会賞受賞 ♪「神さまに迎えていただいたとたんに、ものすごく自由になる。神さまが『ついてきなさい』って言った時に、『いやいや、わたしはついていきません』っていったらむりには連れていか祈いわよ。神さまは待っててくださるから。『ハハァーン、あの人まだもがいている』なんていう感じで見ているわけね。だけどある日、放漫な気持をすてて、神さまがサッと入っていらして『はい!』って言った時に、突然に楽になちゃうということがあると思うの。その時、ほんとうに自分が幸せになるんだけど。」...
神を信じる人のことば 8 – 井上洋治(1927年3月28日~2014年3月8日)

神を信じる人のことば 8 – 井上洋治(1927年3月28日~2014年3月8日)

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井上洋治(いのうえ ようじ 1927年3月28日~2014年3月8日) 神父 「日本とイエスの顔」「愛をみつける」「新約聖書のイエス像」の著者 ◆「ぼくは、それ(苦しい時の神頼み)は祈りのいちばん大切な部分じゃないと思うんだ。お願いごとというのは、どうしても弱い人間だから、せざるをえない時があると思うけど、本来の祈りというのは、わたしたちを生かしている、もっとも大きなものの前に、たたずむことだと思うんですけどね。」 ◆「(不純な動機で洗礼を受けることもある。)戦争直後、焼き芋をたくさんくれたから洗礼を受けたとか。神さまがつかまえられるやり方はいろいろありますよ。自分が幸せになるためって言ったって、だいたいエゴイズムだものね。ここで受ければ、幸せになるか、うまくいくだろうとか、金がもうかるとか、天国に行けるとか、いろいろあるだろう。神さまとおつきあいしているうちに、変えられていくものだと思うね。」...
『本』という名の本

『本』という名の本

キリスト教, 人物, 知識
Sir Walter Scott, 1771年8月15日 - 1832年9月21日)スコットランドの詩人、作家。エディンバラ大学で法学を学び、父の跡を継いで弁護士となる。25歳より文筆活動を始め、当初は詩人として、後に歴史小説作家として名声を博す。イギリスの作家としては、存命中に国外でも成功を収めた、初めての人気作家といえる。代表作として『ロブ・ロイ』、『アイヴァンホー』、『湖上の美人』、『ランメルモールのルチア』の原作となった小説『ラマムアの花嫁』など。ウォルター・スコットの肖像はスコットランド銀行発行のすべての紙幣に使用されている。 ● 8月15日はイギリスの詩人であり作家のウォルター・スコットが生れた日です。彼が瀕死の病床にある時、婿に本を持ってくるようにたのみました。婿が「何の本でしょうか。」とたずねると、「本といったら聖書にきまっている。」と言い、聖書を読んでもらい、心に大いなる安らぎを得ました。 ● このように、聖書は最初から「聖書」だったのではありません。「聖」という字は後世に追加されたのであり、もともとは「書」と呼ばれていました。英語の「バイブル」、この語の由来をたずねると、ギリシャ語の「ビブロス」で、「本」という意味です。つまり、聖書という本は最初「本」(the Book)と呼ばれていたのです。日本語でいえば、「本の中の本」という意味です。 ● 「お花見」といえば、バラやチューリップを見るのではなく、桜のこと。それほど日本人にとって桜は「花の中の花」なのです。)じように「本の中の本」「本という名の本」、それがバイブル、聖書なのです。キリスト教以外でも「○○教会」と用いられる昨今、「育児のバイブル」「料理のバイブル」などと使われると、「本の中の本」という意味が次第になくなっていくような気がするのは、淋しいかぎりです。 ● 「あなたは本を読んでいますか...
神を信じる人のことば 5 – 今道友信 (1922-11-19~2012-10-13 )

神を信じる人のことば 5 – 今道友信 (1922-11-19~2012-10-13 )

人物
今道友信 (いまみち とものぶ、1922-11-19~2012-10-13 )  日本の美学者・中世哲学研究者である。国際形而上学会会長、国際美学会終身委員兼名誉会長、国際エコエティカ学会会長。哲学美学比較研究国際センター所長。東京大学名誉教授。「愛について」「東西の哲学」などの著者 「ぼくは最初『信仰』の『仰』を除い『信』だけで考えていました。「信ずる」ということは、わたしはまかせることだと思うんです。相手から何かを期待するというよりは、自分の力で、どうにもならないことを思う悩んでもしょうがないから、生死をまかせる相手がいるなら、それにこしたことはないというような心境がございましたですね。」 「信ずるということは、だれでもしているわけで、信じる相手が目に見えない神になるのか、それとも自分になるのか、新聞や雑誌になるのか、その違いのような気がするんです。そして『仰ぐ』というと大げさになりますけど、尊敬して信ずるということも、まれにありますでしょう。人間、人事を尽くしたあと、過去や未来の運命のようなものについてはまかせる相手がいたほうが安心ですね。」 ...
神を信じる人のことば 6 – 松井千恵    (1926~ )

神を信じる人のことば 6 – 松井千恵 (1926~ )

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松井千恵    (まつい ちえ、 1926~ ) 1949年、慶應義塾大学卒業。1956年、上智大学大学院修士課程終了。白百合女子大学教授(児童文化学科)を経て、仙台白百合短期大学学長。歴史学・児童文学専攻。「ひよこのあゆみ」などの著書 「『念祷』とは、黙祷というのとも違います。念は今と心と書くでしょう。今に心をおいておく、神の手の中に存在していることを感じることでしょうか。聖書のあることばを考えることもできますし、また『観想』といって、聖書のある場面を考えることもできます。結局わたしたちの生活というのは、キリストのあとについていく生活でしょう。ですからキリストの生活を想い、感じるわけです。そして意識の世界から神さまのほうへ、自己主張をやめ、自分から出て、神のまなざしに向かっていくことなんです。それは、語りかけというより、むしろ心の耳を傾けて、『聴く』ということです。聞こえてくるのではなく『感ずる』っていうのかしら。」  ...
神を信じる人のことば 4 – マザー・テレサ (Mother Teresa- Agnese Gonxhe Bojaxhiu、 1910-08-26~1997-09-05)

神を信じる人のことば 4 – マザー・テレサ (Mother Teresa- Agnese Gonxhe Bojaxhiu、 1910-08-26~1997-09-05)

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マザー・テレサ (Mother Teresa- Agnese Gonxhe Bojaxhiu、 1910-08-26~1997-09-05)  マザー・テレサことアグネス・ゴンジャ・ボヤジュは1910年8月26日、オスマン帝国領のコソボ州・ユスキュプ(現代のマケドニアのスコピエ)でアルバニア人の家庭に生まれた。翌27日は彼女が洗礼を受けたキリスト教徒としての誕生日である。 父は実業家でアルバニア独立運動の闘士であったが急死(暗殺説もある)、彼女は3人の子供たちの末っ子であった。両親はマケドニア地方に住むアルバニア人のカトリックであったが、アルバニア人にはイスラム教徒が多く、マケドニア地方には正教徒が多かったことを考えると珍しい家族であった。「神の愛の宣教者会」創立ノーベル平和賞受賞 「(神を全く信じない人間でも)わたしにとってその人は神の子です。(その人が)神を信じていないとしても、それは問題ではありません。わたしは信じていますから、それでいいのです。その人を愛し、苦しみを分かつことが問われているのです。わたしの行為をとおして、その人が神はわたしを愛していると、少しでも思ってくだされば、うれしいいことです。」 「神を信じないということばそのものが、神を信じていないのではなく、ある神、すでにそこにある神を否定しているのです。だから神があることを心の奥底で知っていながら『それ』を否定しているというのがほんとうではないでしょうか。」 考える時間を持ちなさい、祈る時間を持ちなさい、笑う時間を持ちなさい。 それは力の源、それは地球でもっとも偉大な力、それは魂の音楽。 遊ぶ時間を持ちなさい、愛し、愛される時間を持ちなさい、与える時間を持ちなさい。 それは永遠につづく若さの秘密、それは神が与えてくれた特権、自分勝手になるには、一日は短すぎる。 読書する時間を...
神を信じる人のことば 3 – 小坂俊雄(故) 株式会社 小松ストア 取締相談役

神を信じる人のことば 3 – 小坂俊雄(故) 株式会社 小松ストア 取締相談役

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小坂俊雄(故) 株式会社 小松ストア 取締相談役 「神があるということは直感的に感じていましたけど、永遠の世界があるかどうかということはやはり疑問でした。その神さまがキリストであるというのは、公教要理を聞いているうちにイコールになってきた。そして、神父さまは『最後の一線というのは、理屈ではない。踏みこまなきゃだめです。』と言われた。飛び越えたらどうなるかというのは、ことばで言いあらわせませんけれど、そのことが引き金になって、洗礼を受けました。」 「わたしは信仰とか宗教は押しつけてなるもんじゃないと思います。その人自身が何かを感じなければ、いくら偉いお坊さんの話を聞いても、その道へ入るとは思えません。」 「例えば結婚のお祝いをするのに、大安の日を選ぶとか、仏滅をさけるとかしますが、もし仏滅にお祝いにいったら、なんだこの非常識なやつ、と思われますね。思われたってこちらはいいですけれど、相手が非常に不愉快な思いをされるでしょう。」 ...
神を信じる人のことば 2 – 遠藤周作 (1923-03-27~1996-09-29)

神を信じる人のことば 2 – 遠藤周作 (1923-03-27~1996-09-29)

人物
遠藤周作 (えんどう しゅうさく、 1923-03-27~1996-09-29) キリスト教は遠藤文学の最大のテーマであり、神学者ではなく、神学教育は受けていないにも関わらず、また、必ずしも正統とは言い難い思想もあるにも関わらず、日本のキリスト教分野を代表する人物とされている。小説以外の形式でも、「私のイエス」「私にとって神とは」などを発表しており、キリスト教関係者の間でもしばしば賛否両論含めた論評の対象になる。 「(人間が神の存在をつくり出したという人がいるが)人間がつくったものだったとしたら、もうとっくに捨てているわな。そのほうが人生に問題も苦しみも責任もなく、楽だもの。  しかし、『そうではない』という声が心のどこかに聞こえているから、今日まで小説を書いてきたんだ。」 「お祈りっていうのも、神さまありがとうございます、というばかりでなく、神さまに人生の苦を嘆くことでもあり、人生の愚痴をこぼしたり、怒ったりすることも祈りである時がある。むかし、ぼくは長いこと入院していた。手も足もなく生れた子が四歳の時死んでいったのをみて、『なんでそんなことなさるのや、なぜ黙っているんです」って神さまに怒ったことがある。しかし、その時もう祈りは、はじまっている。『信ずる』闘いがはじまっているね。全面的肯定だけを信仰だと思ったらとんでもない。ぼくは少なくともそう思っている。』    ...
神を信じる人のことば 1 – 高橋たか子 (1932-03-02~ )

神を信じる人のことば 1 – 高橋たか子 (1932-03-02~ )

人物
高橋たか子 (1932-03-02~2013-07-12 ) 作家「天の湖」「荒野」「驚いた花」の著者 「キリスト教徒でない人は、自分が何かになる場合、自分の意志とか欲望とか自分がそれを望んで何かになるという、そうチ・いうふうにお考えになるでしょう。神を信じている人というのは、神がそうさせてくださるんだ、という何をするにしても、そこのところで何かをするわけです。」 「魂の恍惚というのは、不安も苦痛も、なんの陰もなく、完全な一致、自分と神との一致です。キリスト教のことばで甘美さといわれているんですけれど、霊的な甘美さの極みなんです。」 「神の力というのは、人間をとおして伝わる。だから家族の中に、血縁者の中に、神を信じている人がいると、その人をとおして神の力がきてその人もそのようになる。」 ...
堆肥からの励まし

堆肥からの励まし

3月 (弥生), 人物
慌ただしい毎日を過ごしている時、ふと木の芽のふくらみに春を感じたり、空の青さに自然の大きさを感じたりしたことはありませんか。日頃、目に映っても見ていないものが多くあります。また、同じものを見ても、それから何を感じるかは人によって異なります。 物理学者の朝永振一郎氏(1906年3月31日 - 1979年)は、ドイツ留学中、孤独に苦しんでいたある日、郊外の麦畑のそばで堆肥のにおいを嗅ぎ、ふるさとを思い出し、「一人ぽっちでも何でも、それをあるがままに受容すれば、それでよいではないか、と何ものかにささやかれているような気分が起ってきた。」と書いています。 主は、野のゆりを見なさいと語られます。あすは枯れてもやされてしまう野の草でさえ、神様は美しく装ってくださるのだから、人間であるあなたを、どうして祝福し、守ってくださらないことがあるでしょうかと言うのです。そして、それを得るのは、信仰が必要です。神様に対する愛と絶対的な信頼です。もし私たちが目にするもの、耳にするものの中から、いつもこの神様の愛と偉大さを見い出すことができるなら、あなたには神様の恵みを受けるにふさわしい信仰が育っているといえるでしょう。 「世界が創造されてからこのかた、人々は、天地や、神様がお造りになったすべてのものを見て、神様の存在と、その偉大な永遠の力をはっきり知っていました。」 (ローマ1:20)...