
物質主義とは幸せなのか?(自分はどうか考えてみて下さい)
物・物・物 ・・・私たちは物に囲まれて生活しています。そうすると、自分の所有する『物』が無いと、自分は不幸だと思います。この考えを、キリスト者は軽視するわけにはいきません。なぜなら、キリスト者であっても、物が無いのは不幸だと思う考えが心の片隅にあり、そのために不安になったり、主に求めて祈ったりするからです。勿論、私たちが生活をするためには、『物』は必要ですが、私たちはこの地上では旅人であり寄留者であることを覚えましょう。そして、父である神御自身が、神の子である私たちに必要な『物』を最もよく知っておられることを覚え、主にゆだねましょう。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。 聖書・マタイの福音書6章33節
パパラギ その2 (パパラギとは白人または文明人の意味)
はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集
それからパパラギは、私たちのことについてこうも言っている。
「きみたちは貧しく不幸せだ。きみたちには、多くの援助と同情が必要だ。きみたちは何も持っていないではないか」
たくさんの島々の愛する兄弟たちよ。物とは何か、おまえたちに告げよう。・・・
たとえばヤシの実はひとつの物である。ハエたたきも、腕輪も、食事の皿も、髪飾りも、すべてこれらは物である。
しかし、物にはふたつの種類がある。ひとつはヤシの実や、貝や、バナナのように、私たち人間が何の苦労も労働もせず、あの大いなる心(神)が造り出す物である。いまひとつは、指輪や、食事の皿や、ハエたたきのように、たくさんの人間が苦労し、労働をして作り出すものである。アリイ(紳士)が言う物とは、彼が自分の手で作った、人間が作った物のことであり、私たちが何も持っていないと言われるのは、こうした物のことである...