
26人の殉教 (6/8)
26人の殉教 (6/8)
( 6)聖パウロ三木 摂津、イルマン(修道者) 武家の子として生まれる。5歳のとき、両親と共に洗礼を受けた。 10歳ごろ安土城下のセミナリオで勉強を始め、22歳のときイエズス会に入会した。 仏教の教議に詳しかったので、仏教とキリスト教の教えを対比して説いた。 大阪のイエズス会修道院で捕えられる。 「わたしは何の罪も犯したわけではござらぬ。キリシタンの教えを広めただけで処刑されまする・・・」と群衆に言い残して処刑される。 殉教時の年齢33歳
( 7)聖パウロ茨木 尾張、桶屋 レオン烏丸の兄。もともとは武士の出であるが、当時は貧しい桶屋を営んでいた。 殉教の2年前、棄教しようとしたが、ゴンザロ・ガルシア修道士の指導によって克服した。 弟レオン烏丸と共に貧者、病人の世話をし、布教に力を尽くす。 ペトロ・バプチスタ司祭の忠実な伴侶であった。長崎への殉教の道でも、妻、母や他のキリシタン達に手紙を寄せ、信仰を固く守るように励ました。 死を前に「神よ、あなたに命をささげます」と祈る。 殉教時の年齢54歳
( 8)聖ヨハネ五島 五島、イルマン(修道者) 五島に、熱心なキリシタンを両親として生まれる。 幼少のころ、長崎のイエズス会士に引き取られ教育された。 パウロ三木とともに、大阪で捕えられたが、逃れようとすれば逃れられた。しかし進んで殉教者の列に加わることを望んだ。殉教の数時間前に、イエズス会への入会が認められ、十字架にかけられた。 「父上も神の教えのまことを信じ、怠りなく神にお仕えくださるよう・・・」と 言って自分のロザリオを父に渡す。 殉教時の年齢19歳
( 9)聖ルドビコ茨木 尾張 レオ烏丸とパウロ茨木は叔父にあたる。 殉教の1年前に受洗。いつも明るく朗らかであった。 京都の聖フランシスコ会修道院で侍者として仕える。 司祭が逮捕された時、彼は除外され...